近代将棋1996年8月号、米長邦雄九段の「米長さわやか流対談、この一局」より。聞き手は福本和生さん。
米長 銀波荘での名人戦第5局の2日目の夕食休憩の局面、A図をご覧ください。羽生名人が▲2一馬と指したところです。
この局面が今期名人戦第5局で、私がもっとも関心を寄せた場面です。この局面をよくご覧ください。ほとんど森内八段の飛車得に近い。ということは形勢は圧倒的に森内八段の優勢、いや勝勢といってもいい局面です。最善手さえ指せば勝てるのが将棋なんです。だからこのあと森内八段が最善手を指せば勝つことになる。
この局面で最善手を指すための心がまえ、これが非常に難しいことです。まず指し手から申し上げましょう。
本譜は△2六桂として一手勝ちを目指しました。この手では△7一桂として羽生名人の狙いである▲8三香を消しておくという完封勝ちもある。またやってこいと△7四歩と突く、勢い▲8三香から桂の取り合いとなるが、しかし▲7五桂は生きているが、△8一桂は遊び駒なのでこの交換は後手が有利。
この局面で考えられることは、
- △2六桂と肉を斬らして骨を断つか、
- △7一桂として安全勝ちを狙うか、
- △7四歩の自然体でいくか、
この3通りの指し方がある。
このとき私はさいぜん聞いた六代目菊五郎の「間は魔に通じる」という言葉にはっとしました。
夕食休憩前に森内八段は40分の長考でした。もしもこれが竜王戦であれば森内八段は勝っていただろう。△7一桂の完封勝ちにいっていたでしょう。
名人戦は二日制のタイトル戦でただ一つ夕食休憩がある。森内八段は夕食もそこそこに休憩中に対局室で読みに没頭していた。
ここに落とし穴があった。
もしも安全勝ちを狙うなら△7一桂と打っていただろう。しかし安全勝ちというものは、えてして消極策になる。安全策と消極策は決定的に違う。多くの人はこの二つを混同しているようだ。安全策を狙ったのだが、それが消極的になってあたら好局を失うということが多い。これが”ふるえ”ということである。
安全策はいいが、消極的になったら危ないということは、森内八段も十分に承知している。したがって△7一桂と打って勝てるかどうかは第一感であっただろう。しかし時間がなければとりあえずそうやって安全策をとったはずだ。
森内八段はここで休憩時間をふくめて1時間以上の考える時間があった。というより1時間以上の考える時間を羽生名人が与えたということもできる。この局面で森内八段は、一手違いに斬り込んでくることを羽生名人は小学生のときから熟知していた。かならずや1時間以上考えて△2六桂と打ってくるだろうと、羽生名人は心中ひそかに期するものがあったに相違ない。はたして△2六桂であった。
福本 それではA図での△2六桂は悪手なんですか。
米長 悪手ではありません。△2六桂と打ってはっきりと一手勝ちを読み切った森内八段のおそるべき終盤力、これで詰み上がりまで読み切っていた。たった一つの穴を除いてですがね。
福本 (驚いた表情)
米長 われわれプロ棋士はこの局面で最後の最後の詰み上がりまで読み切ることができる。
福本 森内八段は読み切っていた。それがどうして…。
米長 いよいよ決定的な場面となります。それがB図の羽生名人が▲3三馬と銀を取った局面です。
この途中、羽生名人が▲3九香と一手をかせぐ好手があった。森内八段は銀をただで取らせているが、肉を斬らせて骨を断つで読み切っているので一直線の寄せをめざす。
さて、ここが問題であるが、森内八段は2つの勝ち筋があると読んでいた。ところが羽生名人は、ここで森内八段が間違えるに違いない、ということを△2六桂と打たれたときから予知していた。
ここに”羽生マジック”の秘密の種明かしがある。
福本 (驚嘆して声も出ない)
米長 B図で2つの勝ち方がある、と森内八段は読んでいた。一つは△9七銀で、森内玉は金銀では詰まない形なので、△6九金▲同玉△4八成桂以下の簡単な詰みである。したがって先手は受けなければならない。△9七銀を▲同桂は△4八成桂と引かれ、▲8八玉は△8九金以下の詰み、そこで取った銀を▲6九銀と打つが△5八銀と重く指されて一手一手となって後手勝ちである。
問題は▲9七同香で、ここで後手が△9九銀の必至をかける。これで後手玉に詰みがありやなしやです。
先手は▲4二銀△同飛▲同馬△同玉▲5三香成、ここで森内八段にはたった一つしか勝ち筋がない。それは△3三玉と上がることである。これ以外は全部詰みである。△3三玉に先手は▲4三成香と追う。これには△2二玉とかわすのが好手。
森内八段はもちろんこの手順は読み切っていた。△9七銀で銀を渡しても詰みはなし、は分かっていたが、しかし銀を渡さなければもっと安全と考えるのは当然でしょう。
森内八段は△6九銀(C図)と打った。受ければ一手一手である。が、ここで羽生名人ただ一人が△6九銀が詰めろでないことを見抜いていた。
このとき私は所沢の大盤解説場で解説を担当していて、翌日の産経新聞の産経抄にこの模様が紹介されました。私は500人を超すファンに、これだけ多数のファンが集ったのは名人戦だからか、それとも解説者にひかれてか、と問いかけましたら高い拍手が巻き起こりました。
森内八段は△6九銀と打って詰ましにかかった。ところが、これが容易に詰まない。そこで私は対局場の銀波荘に電話をいれて、本局の特別立会人である中原永世十段をお呼びしてもらった。
「米長さん、驚きましたよ。詰むと思ったのが、これが詰まないのですよ。将棋がこんなに難しいものとはね」と中原先生。
中原先生だけでなく、私も驚いてしまった。結局、羽生玉に詰みはなく、大逆転で羽生名人が勝ち、名人位を防衛した。
こんなとき私はどうするか。羽生先生に教えを乞うしかないではないか。
銀波荘の対局の2日後、羽生先生にお目にかかりました。
まことに申し訳ないのですが、私に将棋を教えてくれませんか―。
羽生名人は一瞬、あっけにとられていましたが「なにをおっしゃいます。私が米長先生に教えることは何もありません」「そうおっしゃらずに教えてください。質問していいですか」「何でもどうぞ」「答えたくなければ答えなくていいですよ。おたずねしたいことが一つあります。あなたは△6九銀と打たれたときに、すでにこの局面は詰まないということを知っていたはずです。△6九銀と打たれたときどうするか、それは▲3三馬としたときの32分の読みのなかで読んだのではないと思います。あなたは△6九銀と打たれたときには自玉は詰まない、ということは勝ちになっているということを、すでに打たれる前に読んでいたか知っていたはずです。いつそれを知ったか、それをおたずねしたい」
羽生名人は25歳で、私より27歳も若いが、天下の七冠王であり、将棋も私より強い。したがって私は羽生名人に上座にすわってもらって、頭を下げて教えを乞うた。
羽生七冠王は驚くべき一言。「5年前に知っていました」
この驚愕すべき一言。
「本当ですか」の私の問いに、明るい声で「ハイ」の返事である。羽生名人の話を傾聴しよう。
じつは5年前に塚田泰明八段の研究会があり、この研究会に屋敷、森下、羽生、塚田の4人がいて、そのときに森下-羽生戦がありました。名人戦の第5局とは違う将棋ですが、終盤は部分的に同じ形になり、私は詰ます側にまわりました。当然、相手玉は詰むものだと思っていました。ところが投げようとあきらめていた森下さんが▲8八玉と逃げたのです。▲6八同銀と取るのがあたりまえと思っていたのが▲8八玉と逃げられ、私は△7九角打、あるいは△6七金と引いて、簡単に詰むと思っていました。ところが▲3三馬が遠く8八の地点まで利いて、どうしても先手玉を詰ますことができなかった。
このときの塚田八段の驚いた顔、あきらめていた森下八段の顔、将棋は難しいと考えこんでいた屋敷七段の顔、いまも鮮明に覚えています。
したがってこの局面が詰まないということは、5年前に森下八段に教わったものです。
福本 驚異的な記憶力ですね。
米長 私もよくアマチュアの方に「先生方の頭の中はどうなってるんですか」と聞かれる。それは将棋は強いから将棋を覚えているのです。プロゴルファーは、ゴルフがうまいから自分のラウンドしたプレーを全部覚えている。
したがって羽生名人の頭の中は、何年も前に指した一手30秒の練習将棋のその終盤も克明に頭脳に刻みこまれている。これが”羽生マジック”の凄さです(笑い)。
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将棋世界1996年8月号、伊藤果七段(当時)の「詰将棋サロン解説」より。
第54期名人戦が幕を閉じました。フレッシュなライバル対決は、4-1のスコアで羽生名人の防衛という結果でしたが、全体の内容はむしろ森内八段のほうが押し気味で、逆のスコアだったとしても決しておかしくはありませんでした。羽生名人の勝運の強さを、まざまざと見た思いです。勝運の強さといえば、特に第5局の終盤の局面が鮮烈で、あの△6九銀が、まさか詰めよでなかったなんて、ぼくは事態を知ったとき体が震えてしまいました。そして、もっと体が震えることを後日、森内八段の口から聞いてしまったのです。
「最初は詰まないと思っていたんですけど、読み直しているうちに詰みかと…ついふらふらと手が…自分でも呆れました。実は羽生さん、あの6九銀の形が”詰めよでない”ことを知っていたんです。
何年か前に研究会で指していた終盤で、同じような局面がたまたま生じていたというんです。あのとき詰まないことの確認のため、読み直していたと聞いて…頭の中で、ガーンと音がしました」
(以下略)
* * * * *
A図から、
「△2六桂と肉を斬らして骨を断つか、△7一桂として安全勝ちを狙うか、△7四歩の自然体でいくか、この3通りの指し方がある」
「夕食休憩前に森内八段は40分の長考でした。もしもこれが竜王戦であれば森内八段は勝っていただろう。△7一桂の完封勝ちにいっていたでしょう」
米長邦雄九段の、このようなイメージしやすい解説が嬉しい。
羽生善治七冠は将棋世界1996年8月号の自戦解説で、
「ここではいろいろ負けだと思ってました。つまり△7四歩と突いて▲8三香に△6二飛▲8一香成△7五歩でも自信がなかったですし、手堅く指すなら△7一桂と打って、▲4六香に△同銀▲同歩△4二金と徹底的に受けに回って切らしにいく順も嫌でしたし、本譜の△2六桂も一本道で負けなのでこれも指されたら仕様がない感じでした」
と語っている。
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「間は魔に通じる」は、間の素晴らしさで多くの人を魅了した六代目尾上菊五郎(1885-1949)の言葉。
間が絶妙な時は、例えば100のものが200にもなるけれども、間が少しでも狂うと-100になってしまうというようなこと。
米長九段が言っているこの場合の「間」は、時間がありすぎたこと。
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「しかし安全勝ちというものは、えてして消極策になる。安全策と消極策は決定的に違う。多くの人はこの二つを混同しているようだ。安全策を狙ったのだが、それが消極的になってあたら好局を失うということが多い。これが”ふるえ”ということである」
猛烈な厳冬を迎える前に、水道管に凍結防止ヒーターを装着するのが安全策、冬の間は水道水を使うのを諦めるのが消極策、ということになるのだろうか。
ただ、将棋において、安全策と消極策の違いを見分けるのは難しい。
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「ここで森内八段にはたった一つしか勝ち筋がない。それは△3三玉と上がることである。これ以外は全部詰みである」
羽生七冠も中原誠十六世名人も、△5三同玉でも詰まないと解説しており、コンピュータソフトで確認しても、△5三同玉で詰まない。
米長九段も見落としてしまうほどの難解な終盤だったということになる。
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「森内八段は△6九銀(C図)と打った。受ければ一手一手である。が、ここで羽生名人ただ一人が△6九銀が詰めろでないことを見抜いていた」
「5年前に知っていました」
まさに劇的な展開。
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「終盤は部分的に同じ形になり、私は詰ます側にまわりました」
失敗は成功の母、詰ましに行って詰まなかったから、より強く頭に刻まれていたのだろう。
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「中原先生だけでなく、私も驚いてしまった」
「このときの塚田八段の驚いた顔、あきらめていた森下八段の顔、将棋は難しいと考えこんでいた屋敷七段の顔、いまも鮮明に覚えています」
念のためにコンピュータソフトにかけてみても、それまで後手勝勢だったものが、△6九銀で先手勝勢に評価値が変わっている。
リアルタイムでコンピュータソフトの評価値が表示されていたとしたら、これほど劇的な驚き・感動は生まれていなかったかもしれない。
コンピュータソフトの評価値の功罪の「功」の部分が大きいことは理解しているが、評価値の表示によって、本来なら300の感動を味わえていたところ、50の感動になってしまうこともあるのではないかと思う。
評価値との付き合い方はなかなか難しい。