「この型の人は『種を蒔く』ことは好きだが『刈り入れる』ことには興味が湧かないという特徴を持っている」

将棋世界1997年3月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 升田型の棋士、大きな構想力を以て新手法を打ち出し、ぐいぐい局面を主導的に動かして行く。その勝ち方は真に鮮やかであり喝采を浴びる。

 だがその反面、負ける時はちょっとしたケアレスミスで、これまで営々として作り上げた将棋を台なしにしてしまう。

 引き合いに出して申し訳ないが、最近では田中寅彦九段がこのタイプに属している。東京女子大学の林道義教授は大の囲碁ファンで、御自分の授業に囲碁を取り入れ、さらに囲碁棋士の深層心理を分析しておられる。

 その説を拝借し将棋に当てはめると、升田型を着想型と分類し、着想型になぜ終盤のミスが多いのかは、この型の人は「種を蒔く」ことは好きだが「刈り入れる」ことには興味が湧かないという特徴を持っている。

 いろいろと素晴らしいアイデアを出すことには情熱を燃やすが、その果実を獲得することにはあまり興味を示さないと述べられている。

 そして、その理由を人間の意識と無意識の観点から説明しておられるのだが、そこは私の知識では正しく理解しているかどうか怪しいので割愛させていただく。ただ、この型の人はそれを無理に直そうとして勝つことのみに専念したら、肝心の着想が湧いてこなくなることにもなりかねないから、せいぜい終盤には気をつけるよりない、と結んでおられる。

 この時期、升田は病弱であったがために無理せず短所を補い得たのかもしれない。

(以下略)

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升田幸三実力制第四代名人の場合は、「種を蒔く」だけではなく、「全く新しい種を開発して自分で蒔く」とも言える。

品種改良を通り越して、新しい植物のイメージ。

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明治維新でいえば、「種を蒔いた」のが吉田松陰や高杉晋作や坂本竜馬で、「刈り入れた」が大久保利通や伊藤博文となる。

「種を蒔いた」人たちは、維新後まで生きていたとしても、大久保利通や伊藤博文のように政治で活躍をすることはできなかっただろうし、「刈り入れた」人たちは、吉田松陰や高杉晋作や坂本竜馬のように、カオスの状態から維新へと至るまでに導くことには向いていなかったかもしれない。

長所の裏返しは短所、短所の裏返しは長所というわけで、企業でも明治維新でも、それぞれの適性のある人がそれぞれ適性を生かせる部署(役割)に配置されれば非常に大きな力を発揮できるけれども、棋士は一人だけで頑張らなければならない。

それだけ、棋士は大変な世界に身を置いているということになるのだと思う