村山聖八段(当時)「あの、困ったことが……」

将棋世界1997年3月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

1月10日

 A級順位戦がいよいよおもしろくなった。挑戦者争いは、谷川・森下が好調で楽しみだし、降級者争いも、中原・米長が危ないとは、時代が移りつつあることを感じさせる。

 もっとも、危ないといっても、残り3局中、1局勝てばよいのだから、追い詰められた、という感じなどまったくない。

(中略)

 注目の米長対佐藤(康)戦は、相矢倉。互いに力を出せそうな戦型になっている。

 控え室の検討陣は、森内・村山に、近藤・中座の新四段組。気の合った仲間だけの研究会みたいだ。

(中略)

 △7三金が指されたところで、控え室の面々は帰り支度をはじめた。

 私もそれに誘われ、森内、村山、近藤の三君といっしょに、近くのスナックに寄った。

 村山君が、ビールを飲むとは知らなかった。なんとなく飲まないような気がしていたのだ。すこしでも飲めるのなら元気なのだと、ホッとした。勝負将棋(対中原戦)は4日後なのである。

将棋世界1997年3月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。

1月4日(土)

 森信さんにTel。最近森さんが飼いだしたパグとチビ柴の話を聞いているうちに私も犬を飼いたくなってきた。そういえば滝さんの家にも可愛いウィリッシュコーギーがいた。「あんなあ、大崎さんに飼われたらなあ、犬がかわいそうやで」「森さんに飼われるよりゃ、なんぼかましやろう」「あんなあ、ワシは毎日、犬のフンを拾いながら暮らしとるんや。それとなあウチにはうちのがおるんや。大崎さんとこおらんやろ」「うちのを先に手配した方がええかなあ」「ま、それも無理やろ」

1月10日(金)

 深夜1時頃、村山八段からTel。「あの、困ったことが……」しょぼんとしている。「家の鍵を失くしちゃったんですけど、今連盟です」。こんなこともあろうかと村山君がアパートを貸りた時、連盟の私の机に合鍵を一つ作らせて置いておいたのである。その場所を電話で教える。30分後、村山八段からTel。「無事に入れました」。そういえば、村山君は春頃に故郷の広島に帰るらしい。淋しくなるけど、彼の体や御両親にとっては一番かもしれない。

* * * * *

「私もそれに誘われ、森内、村山、近藤の三君といっしょに、近くのスナックに寄った」

この飲み会が終わった直後に、村山聖八段(当時)から大崎善生さんに、

「家の鍵を失くしちゃったんですけど、今連盟です」

という電話があったことがわかる。

* * * * *

「村山君は春頃に故郷の広島に帰るらしい。淋しくなるけど、彼の体や御両親にとっては一番かもしれない」

『聖の青春』によると、大崎善生さんは、前年の11月か12月に、村山聖八段(当時)から「血尿が出る」と打ち明けられていた。

* * * * *

将棋世界1997年3月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

1月14日

 A級とC級1組順位戦に加えて、竜王戦と王位戦リーグ入りの一戦もある。なかで注目されるのは、中原対村山戦だ。

 こういう一戦こそじっくり見ていたいのだが、小生も対局を頑張らねばならない。で、ときどきしか特別対局室に行けなかった。

 中原永世十段はいつも通り。村山八段も変わっている様子はなかったが、将棋はどこか勢いがない。駒組が硬直しているような感じがあった。降級の危機など、村山君にすればはじめての経験である。前期も彼は気にしていたが、それは、3局くらい残して、それを全部負けたら、の心配で、それと今期とでは比較にならない。平凡な見方になるが、プレッシャーも相当なものだったに違いない。

 硬くなっているのを見透かしたように、中原永世十段は自在に動いた。駒が伸び伸びと前に進み、夕食休みのころは、はっきり指しやすくなっていた。前期最終戦の、対高橋九段と同じだったのである。

(中略)

 第二対局室から帰りの途中、特別対局室に寄ると、中原対村山戦が終わっていて、序盤のあたりの感想をやっている。数分、遠くから見ていたが、なんとなく正視できないものがあった。負けたのはやむをえない。ただ全力を尽くすことが出来なかったのが気の毒に思えたのである。

 8図が投了直前の局面。

 3六にいた金が△2六金と寄ったところで、これが一歩補充しながら様子を見て巧妙。手を抜いて▲7五桂と暴れてくるか、を問うている。

8図以下の指し手
▲4七飛△7七桂成▲同金△8六歩▲同歩△7六歩▲7八金△8八歩(9図)まで、中原永世十段の勝ち。

 なぜ9図で村山八段は投げたのか。指しつづけるとすればどんな手順なのか。私には書くことが出来ない。村山君にしたって、投げた理由を詮索されるのは嫌だろう。

 ただ、言っておきたいのは、どんな理由・事情があったにせよ、この局面で投げる気持ちにさせたのは、中原の「格」である。中原をA級の棋士達がどう見ているか。その本音がここにあらわれている。

 私は12時近くまで粘ったが、結局負けた。疲れはてて控え室に行くと、若手棋士数人が残っている。そこで、近藤君と碁を打った。ただ手を動かしているだけだが、不思議なもので、疲れが取れるような気がしてくる。

 やがて先崎君が来て、うだうだと話をしたが、何を言ったかは忘れた。すこし元気が出たので帰ることにし、先崎、近藤、田村君に、遊びに来ていた奨励会三段だった田畑君と5人で、このあいだのスナックに寄った。

「あゝ人生は終わった」。席につくや先崎君がため息をついた。

「ウン?負けたの」「ええ」。またうなだれた。

 2敗して昇級は苦しくなった。しかしまだ望みがないわけでなく、今期上がれなくてもどってことはない。と、凡才は思うのだが、エリートの感性は違うらしい。

 また昔話になるが、奨励会三段リーグの東西決戦で、木村義徳三段に敗れた板谷進三段は、1週間ほど行方不明になった。なんでも死のうとまで思いつめたという。まだ18歳かそこらで、才能を認められているエリートが、たった1回チャンスを逃したくらいで絶望的になるものだろうか。天才の心情、今もって理解できないところがある。

 近藤君と先崎君で、争碁の約束がまとまったらしい。2日後の再会を期す、なんて近藤君が威張っている。そうしているうちアルコールが回り、先崎君も明るくなってきた。

「河口さんは若者に付き合ってもらって、仕合わせな老後を送っている、と真部さんが言ってましたよ」。と憎まれ口が出たところでお開き。もう午前3時を回っていた。

 中原・佐藤組はうまい酒を飲み先崎・田村・田畑組は、さらに新宿に回って、苦い酒を飲むのだろう。

(以下略)

近代将棋1997年4月号より。

* * * * *

「数分、遠くから見ていたが、なんとなく正視できないものがあった。負けたのはやむをえない。ただ全力を尽くすことが出来なかったのが気の毒に思えたのである」

「なぜ9図で村山八段は投げたのか。指しつづけるとすればどんな手順なのか。私には書くことが出来ない。村山君にしたって、投げた理由を詮索されるのは嫌だろう」

痛々しくて辛い。

村山八段の体調がかなり悪かったのだと考えられる。

村山八段は、2月に広島に戻り、4月に入院、6月に膀胱摘出の手術をすることになる。

 

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