『羽生の頭脳』破りと「『羽生の頭脳』破り」破り

将棋マガジン1995年2月号、羽生善治六冠(当時)の「今月のハブの眼」より。

将棋マガジン1994年11月号より、撮影は弦巻勝さん。

 さて、今月の1局目は王将リーグ、村山聖七段との一局から。

 王将リーグはこれが3局目、いよいよ中盤戦に入って来た所です。

 村山七段には毎年、この王将リーグでは負かされていて挑戦権を逃しています。

 今年こそはと気合いを入れて対局を迎えました。

 村山七段は普段は矢倉が多いのですが、本局では相横歩取りの超急戦になりました。

 一手のミスが直ちに勝敗に結びつく将棋です。

 1図はその終盤戦。

 終盤戦と言ってもまだ52手目に過ぎません。

 序盤の駒組みから一気に中盤を跳びこえてこうなったのです。

 先手はこの王手に対してどう応接するかですが、▲同玉や▲6五玉は△6四銀で簡単に寄せられてしまいます。

 そこで、▲6六玉と指したのですが、これがどうだったか。

 局後の感想戦では▲8五玉も有力で、△9四銀▲7四玉△7二金▲同馬△8三銀打▲同馬△同銀▲同玉△9二角▲7二玉(もしくは▲7三玉)で寄るかどうか、あるいは△8六飛▲7四玉△8一飛▲同銀不成△9五馬の変化が予想され、はっきりとした結論は出なかったのです。

 本譜、▲6六玉の時に△6二金が好手、この手は△7六飛以下の詰めろになっています。

 先手はこの詰めろを受けなければなりませんが、受けるだけの▲7六歩では△6四銀で指す手に困ることになります。

 そこで、▲6三銀不成と攻め合います。不成が重要な所で成だと、△7六飛▲6五玉△5四銀▲7四玉△6三銀▲同馬△同金▲同玉△6二銀▲7二玉△6一角▲8二玉△7八飛成で一気に敗勢になります。

 不成だと△6四飛が気になりますが、▲6五飛△同飛▲同玉△6四歩▲7五玉△6五飛▲7六玉△8五銀(△6三金は▲同馬)▲8七玉△6三金▲9八玉△8六歩▲8八歩で先手の勝勢となります。また、△8六飛▲7六歩△8一飛は▲6二銀成△同玉▲7四桂△5一玉▲6三銀で、△4二玉なら▲3四歩、△4四角なら▲5五桂△同角▲同玉△4四銀▲6四玉△3七馬▲4六角△同馬▲同歩△5五角▲6五玉△6四歩▲5六玉で先手玉は捕まりません。

 そこで、村山七段は△8六飛▲7六歩の時に△同飛とし、以下▲6五玉△6四歩▲5五玉で2図の局面になりました。

 

 私はここから△6三金▲同馬△5四銀▲同馬△同歩▲6四玉△6三歩▲7四玉△7八飛成の展開を予想し、そこで次の一手をどう指すか考えていました。

 しかし、村山七段の着手は△5四歩、これには意表を突かれました。

 ▲5四同銀不成△7八飛成▲7一飛△6一銀となって指す手が難しい。

 △6一銀で△6一金打なら▲5三銀打△7一金▲同馬△5三金▲同馬で先手勝ち。

 本譜も同じように(△6一銀に)▲5三銀打としたのですが、△3七馬▲4六桂△3七馬▲4六桂△6五金▲4五玉△5三金▲同銀不成△3三桂▲3五玉△3四歩▲同桂△2六銀▲2四玉△1五銀▲3五玉△2六馬▲4六玉△7六竜で投了となりました。

 ▲6六玉としてからは先手に勝ちはなかったようです。

 相横歩取りの対策は、もう一度考えてみる必要があるようです。

(以下略)  

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「村山七段には毎年、この王将リーグでは負かされていて挑戦権を逃しています。今年こそはと気合いを入れて対局を迎えました」

羽生六冠は村山聖七段(当時)に王将戦で、1992年のリーグ戦と挑戦者決定プレーオフ、1993年リーグ戦と、3連敗中だった。(1995年は羽生六冠の勝ち)

羽生九段と村山九段の通算対戦成績は、羽生九段の8勝6敗(不戦勝1を含む)となっているが、6敗のうちの4敗が、王将リーグ戦でのこととなる。

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「1図はその終盤戦。終盤戦と言ってもまだ52手目に過ぎません」

羽生九段が書く棋書以外の文章で、これほど棋譜が密度濃く並ぶのは珍しい。

お互いに力を認めあっているライバル同士、二人とも対局の時間も感想戦の時間も、とても楽しかったのではないだろうか。

ところで、この一局は、『羽生の頭脳9・激戦!横歩取り』に載っている変化と途中まで一緒だった。

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将棋世界1995年1月号、桐谷広人六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

王将戦

 11月11日の羽生-村山戦は『羽生の頭脳9・激戦!横歩取り』の本と57手目まで同じように進んだ。

 9図は52手目に後手が△7五同歩と銀を取り返した局面。

羽生の頭脳破り1

 本ではここで▲6六玉と逃げ△6二金に▲6三銀不成△8六飛▲7六歩△8一飛▲6二銀成△同玉▲7四桂以下「先手が際どく残していると思う」と書かれている。

 村山は58手目の△8一飛の手で△7六同飛と取り、▲6五玉に△6四歩▲5五玉△5四歩▲同銀不成△7八飛成と指し、この後20手ほどで羽生を降した。

 △7六同飛以下の手順は、10月4日の小野-北浜戦(全日プロ)で、北浜が指したもので、羽生は小野と同じように負かされた。

 どうやら羽生の頭脳に穴が空いていたようだ。

 局後、羽生は9図で▲8五玉と逃げるべきだったと感想を述べた。▲8五玉ならどちらが勝ちなのだろうか?また公式戦で戦ってみてもらいたい。

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北浜健介四段(当時)が初めて指した△7六同飛。

『羽生の頭脳』破り、ということになる。

羽生五冠も、竜王戦七番勝負などが重なり、小野-北浜戦の棋譜を確認できていなかったのかもしれない。

『羽生の頭脳』が、いかにプロにも読まれていたかがわかる事例だ。

ただ、村山聖七段の勉強法は独特だったので、村山聖七段が小野-北浜戦の棋譜並べをしていたのかどうか、『羽生の頭脳』を読んでいたのか読んでいなかったのか、についてはどちらかわからない。

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将棋世界1995年2月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 新年の将棋界は景気のよい話でにぎわっていることだろう。いうまでもなく、羽生七冠誕生の夢である。もう羽生コールが聞こえはじめた。

 1994年は、羽生に始まり羽生で終わった(林葉さんの騒ぎもあったが)感がする。よく勝ったものだが、あれだけ勝ちつづけても、まだ道半ばなのだから、七冠王は大変なものだと痛感させられる。

 ともあれ、4月に名人戦が開始されて以来、12月末までに、六冠王になり、七冠王への望みをつないでいる。このことだけでも大偉業である。ある棋士が、一人にこんなに勝たれるようじゃ、将棋指しなんてやってられない、とふてくされたそうだが、その気持ちも判らぬでもない。

 ここまで来るのに、何度か大ピンチがあった。

 第一の危機は8月下旬。王位戦で郷田五段に2勝3敗と追い込まれ、竜王戦も、行方四段という、読めない相手と戦う羽目になった。調子も下降気味で本当に危なかった。

 しかし、王位を防衛し、竜王戦も挑戦者になり、王座を防衛、王将戦リーグも初戦に勝つなど、爆発的な勝ちっぷりで危機を乗り切った。そして、竜王戦七番勝負で、3連勝したあたりから、夢が現実味をおびて来たのである。

 それが、一つ二つ負けただけで、11月下旬から12月上旬にかけて、第二の危機が来た。

 つまり、今日の王将戦リーグの対郷田五段に負ければお終い、という状態になったのである。急所の一番は、タイトル戦にではなく、ファンが気がつかない、リーグ戦の一局にあったのだ。

 その大事な一番を戦うにしては日程がきつすぎる。11月30日、富山で竜王戦第5局を戦い、翌12月1日に帰京。すぐ2日に本局である。竜王位を取っていれば疲れも残らないが、30日に負けたのだから、疲労もピークに達していただろう。

 対局室を覗くと、羽生名人はひっそりと指していた。顔色が青白く見えたのは、気のせいだったろうか。

 ところが読みに正確さを欠くとか、粘りが不足しないかとかは、こちらのいらぬ心配だった。中盤で郷田の失着もあり、難なく危機を乗り抜けた。

(中略)

 羽生は勝って4勝1敗。郷田は3勝1敗。本局の直後、羽生は中原永世十段も破り、王将戦リーグを、5勝1敗で一足先に終えた。これで挑戦者は確実と思われたが、郷田もしぶとい。村山七段を破り、最終戦の対塚田八段戦にも勝って、同率決戦と粘っている。

 羽生名人にも苦手があり、村山七段もその一人。王将戦でも村山に負けたのがひびいている。だったら、ついでに村山が郷田を負かしてくれそうなものだが、そうはならない。苦手とはおもしろいものである。

(以下略)

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「いうまでもなく、羽生七冠誕生の夢である。もう羽生コールが聞こえはじめた」

羽生六冠が誕生して、七冠の声が今までにないほど盛り上がっていたことがうかがえる。

このような雰囲気が1年以上続いたのだから本当に凄い。七冠達成ももちろん大偉業だけれども、六冠を1年以上保持していたことも七冠に勝るとも劣らない大偉業だと思う。

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「急所の一番は、タイトル戦にではなく、ファンが気がつかない、リーグ戦の一局にあったのだ」

この翌年は羽生七冠誕生とはならなかったが、翌々年の七冠達成の前にも、王将リーグ戦で結果的に急所となる一番があった。

羽生善治七冠達成を阻んでいたかもしれなかった一局(1995年王将戦挑戦者決定リーグ戦:対森内俊之八段戦)

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「ついでに村山が郷田を負かしてくれそうなものだが、そうはならない」

この頃、郷田真隆五段が様々な場面(王位戦、JT杯、王将戦)で羽生五冠の前に立ちはだかっている。

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郷田五段が村山七段を破った一局。

郷田五段が「『羽生の頭脳』破り」破りを見せてくれる。

将棋世界1995年2月号、桐谷広人六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

王将戦

 10図は12月9日の郷田-村山戦の序盤。

羽生の頭脳破り2

 相横歩取りの定跡で、『羽生の頭脳9・激戦!横歩取り』には、「先手は▲4六角が最有力」と書いてある。しかし、先月号の本欄でお伝えしたように、羽生-村山戦で村山は『羽生の頭脳』を打ち破った。

 郷田はこの局面で24分考え(その前の▲7七銀にも39分考えている)、▲7九金と新手を指した。村山は昼休を挟む62分の長考で△7五歩。郷田はそれを上回る76分の長考で▲8三飛。この未知の将棋を制したのは郷田。

 12月20日に羽生を除く6人が最終戦を戦ったが、郷田が勝って同率決戦に持ち込んだ。

 羽生七冠への重大関門となった挑戦者決定戦は12月28日に行われる。

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村山聖九段の郷田真隆九段との対戦成績は1勝5敗(不戦敗1を含む)。

1994年度の王将戦挑戦者決定リーグ戦で見られるように、羽生善治五冠を破った村山聖七段を破る郷田真隆五段という図式。

挑戦者決定戦では羽生六冠が郷田五段に勝って、谷川浩司王将(当時)への挑戦を決めている。