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竜王戦秘話

将棋世界2003年12月号、山田史生さんの「ベテラン記者が綴る 竜王戦秘話」より。

 今期竜王戦七番勝負の開幕にあたり「竜王戦秘話」を、とのことである。

 私は竜王戦創設(昭和62年11月に予選スタート、63年10月から七番勝負)に読売新聞社員としてかかわり、第9期までは直接の担当者であった。第10期以降も観戦記者として竜王戦は見続けている。ありがたいことに将棋界の最高棋戦としての注目度は高く、観戦記以外にも竜王戦のあれこれを書いたり話したりする機会は数多くあった。だから改めて秘話といっても、さほどのものはないので、ここでは思い出や苦労話を書くことでご容赦いただきたい。

 第1期は米長邦雄九段-島朗六段。その第1局は名古屋市の「ホテルナゴヤキャッスル」。二日目夕、対局室の窓から名古屋城が間近に見え、その城を中心に美しい虹がかかった。島はそれに気づき、あとで「きれいでしたね」と感想を述べたが、米長は「気づきませんでした」。

 第2局は宮城県の松島。ここでも二日目夕方、虹がかかった。この時はにわか雨もないのにどうして、と関係者は不思議がった。

 新設の棋戦を祝ってくれるかのように虹が連続して出、”虹の竜王戦”というキャッチフレーズも生まれたこともあって印象深く、その時の虹の色は今だにまぶたの内にある。

 そしてその虹をかけ上がったのは25歳の新スター島朗であった。

 第3局は宮崎市。終了の翌日、カヤ(榧)の産地で知られる綾町へ出かけた。取材で来ていた富岡六段(現八段)はカヤの七寸盤を数十万円で購入したが、島は盤には目もくれず、物産展でネクタイを物色していた。「盤は持っているの?」と聞くと、「いえ、立派な盤には関心ありません。研究には板盤で十分ですから」と答えた。新時代の棋士の登場を痛感させられた言葉として耳に残っている。

 第2期は年号が平成と変わった。19歳羽生善治のタイトル戦初登場とあいまって記念すべき年となった。

 島竜王-羽生六段戦で一番の思い出は第1局の公開対局である。今でこそ公開対局は珍しくなくなったが、タイトル戦の長時間公開は本局が初。これは島が竜王であったからできたことで、島でなければテレビの生中継も含めて、まだ5、6年は待たなければならなかっただろう。

 前年暮れ、島は「山田さん、竜王戦を公開でやりませんか」と言った。私はその言葉を対局中のごく一部、30分かせいぜい1時間ぐらいのつもりで受けとっていたが、島は「一番面白い所を見てもらわなければ意味がありません」と言う。タイトル保持者が公開を望むなら何の障害もあるはずはない。将棋連盟の協力も得て早速準備に入った。

 場所は川崎市民プラザ。都合のよいことに対局室用の茶室、公開用の舞台、さらにその裏には解説用のホールもあり、観客は対局を見たり、解説を聞くこともできたのである。

 ここに当時の写真がある。ちょっと雰囲気がおかしいことに気づかれたであろうか。

 観客のほとんど全員が上着にネクタイを着用していることである。これは当時の将棋連盟理事会より「最高の棋戦を長時間見せるからにはお客さんもそれなりのマナーで見てもらいたい。上着、ネクタイの着用をお願いしよう」と提案があったためである。それが事前にかなり周知され、観客400人がネクタイ姿で観戦したのであった。

 2日目午後3時から午後8時ごろまで、対局者が身をよじりあうほどの大熱戦の終盤と、羽生が投了した終局の瞬間、そして大盤の前での感想戦など5時間余にわたって公開。ネクタイのせいでもなかろうが、観客にはマナーよく、終始紳士的に観戦していただいた。

 この模様はNHKのBSテレビで生中継され、以後竜王戦七番勝負は全て中継されることになった。ちょうどそのころ、BS創世記でソフト(素材)不足の折りと合致したこともあるが、島-羽生戦の内容がよく、視聴者に好評だったことも大いにあずかっていたからと思う。

 第2期は持将棋があったため第8局までもつれこみ、結果弱冠19歳の羽生が初タイトルを獲得した。羽生の終局直後の言葉。「大変なことになってしまいました。(竜王の)責任の重さについてゆけるかどうか」。

 現在タイトル獲得数56を誇る羽生の、初タイトル時の言葉だけに、その初々しさと共に忘れられない。また敗れた島の七番勝負前の話。「まれに見る将棋界の逸材の羽生君と大舞台で戦えるということは棋士冥利につきます」。そして戦い終わったあと「負けたことは悔しいが全力をつくしたし、内容的には悔いはありません。羽生君の初舞台の相手として戦え光栄です」は、名談話として記憶に残る。

(中略)

 ふりかえれば国内の対局場も、いろいろな所へ出かけた。特別な場所として記憶に強く残っているのは第3期の第2局、日光東照宮と、第8期第3局の出雲大社であろうか。

 東照宮では要人接待のための特別室「朝陽閣」が対局室。いたる所に重要文化財や美術品がごろごろ。ふすまにも文化勲章クラスの画家の絵が描かれていて出入りにも神経を使った。NHKBSの中継スタッフの準備も大変で、照明器具、天井カメラの据え付けなどにさまざまな制約をうけて苦労したようだ。対局当日は白装束の巫女さんがお茶出ししてくれたり雰囲気は極めてよかったが、反面食事は少し離れたレストランへ出かけたり、宿舎も車での移動というわずらわしさがあった。

 出雲大社では天皇家のお使いをもてなす特別な建物「勅使館」が対局場。11月初旬で一日目は小春日和。何の問題もなかったが、二日目は寒風が吹き気温も急激に下がった。外は雪も舞いだした。建物は立派ながら暖房設備はなく小さな電気ストーブが置いてあるだけ。それでは広い部屋は暖まらず、羽生、佐藤の対局者は身震いするほどの寒さなので昼休みに大型の石油ストーブを2台入れた。寒さは何とかそれでしのげたが、今度は別の問題が生じた。古い木造なのであちこちに小さな虫が巣食っていたのだろう。部屋が暖められたため何匹もの虫がはい出してきたのである。観戦記担当だった武者野勝巳六段や読売の記者が急遽部屋の中で虫退治する騒ぎになった。

 日光も出雲も、行うこと自体が大きな話題で報道面ではありがたかった。一方運営する直接の担当者としては食事や宿舎への行き来の問題など普通の対局場に倍する神経を使わされた。

(以下略)

 細かいあれこれはあったものの、おおむねは安穏で恵まれた竜王戦だったとありがたく思っている。対局者にも困らされた覚えは一切ない。

(中略)

「指し直し」については持将棋が2回(第2期第2局、第4期第1局)、千日手が2回(第5期第2局、第15期第1局)あった。持将棋は十分戦いあったあとなので棋譜使用ができる。問題は千日手だが、これも二日目午後の千日手はその内容しだいで日を改めて指し直すことができるよう規約を定めてある。よくファンから「持将棋や千日手では困るでしょう」と聞かれるが、竜王戦の場合はあまり困らない。担当者としては一局延びることはむしろありがたい。第5局以降の対局場では七番勝負が早く終わらないよう願っている。地元でイベントを用意している場合も多い。それがストレートで終わってしまえば、多くの関係者ががっかりするのである。メインイベントが長びくことは歓迎というのが私たち担当者の基本姿勢で、千日手規約にも柔軟性をもたせているのはそのためである。

(以下略)

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巫女さんがお茶を出してくれるタイトル戦、将棋と神事は直接の関係はないが、今までにはないような非常に雰囲気のある光景だったのではないだろうか。

私は8年前に出席した結婚式で巫女の舞を見てからというもの、私の中での巫女の評価が非常に高くなっている。

3年前に見た流鏑馬で、巫女のような衣装を着た女性が矢を放つのを見て、平安時代にタイムスリップをしているような気持ちになったこともある。

私の前世は白拍子にばかり夢中になっていた平安時代の没落貴族だったのかもしれない。

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それはともかく、”虹の竜王戦”というキャッチフレーズ。

竜王戦の前身の十段戦は、在位通算10期で永世十段の称号となった(大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人が永世十段)。

永世竜王の称号は在位連続5期か通算7期。

十段戦だから通算10期で、虹の竜王戦で虹は7色だから通算は7期になった、とも推測できるが、全く関係のない可能性もある。

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昨日の竜王戦挑戦者決定戦第3局で、羽生善治二冠が松尾歩八段を破り、挑戦権を獲得した。

今回の挑戦で羽生二冠が竜王位を獲得すれば、竜王通算7期で永世竜王の称号を得られることになるとともに、永世七冠の達成となる。

その時は、通算7期と永世七冠で、まさに「虹の竜王戦」。

今回の渡辺明竜王は、羽生善治六冠(当時)が七冠目を目指した1996年王将戦での谷川浩司王将(当時)のような、あるいはそれ以上の、多くの将棋ファンから悪役と見られてしまいがちな立場になるだろうが、これも竜王戦の歴史の中に綴られるドラマ。

今年は竜王戦七番勝負を熱く見つめたい。

 

 

羽生善治五冠(当時)の一言から生まれた竜王戦インターネット中継

将棋世界2002年3月号グラビア、「第14期竜王戦就位式 羽生、竜王位復位で決意新たに」より。

○第14期竜王戦において、4勝1敗の成績で藤井猛竜王を破った羽生善治・新竜王の就位式が1月21日、東京・丸の内パレスホテルで行われ、200人の列席者が竜王復位、通算5期目の偉業を祝福した。羽生善治に対し、二上達也・日本将棋連盟会長から竜王推戴状、また堀口吉則・読売新聞編集主幹からは秩父宮さま寄贈の竜王杯と賞金3,200万円が贈られた。

○羽生の竜王奪取は6期振りの返り咲きながら、タイトル獲得数が歴代3位の50期に到達、また僅か3ヵ月半での五冠復帰に、改めて羽生強しの認識が高まった。

○祝辞を述べるコピーライター・糸井重里氏は、自然体の羽生の才能に感嘆の声を。「羽生さん自身、私は化け物でない、誰もが持っている可能性を追求しただけと言われています。飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの。イチローも同じことを言っていますが、この二人の天才、化け物がいなくなってしまうと我々はどうしたらいいのか(笑)」

○『羽生』の著書もある、芥川賞作家・保坂和志氏もお祝いにかけつけた。「今度、出版する本のために改めて羽生さんと対談しましたが、羽生さんの言葉には無駄がなく、処理速度の速さに感心しました。これほど濃密な話をうかがったのは初めてです」

○謝辞に立つ羽生竜王。

「最初に竜王戦の舞台に登場したのは13年前の第2期の時で、月日が流れるのは早いと感じています。今期再び対戦することになった藤井さんとは、ここ2年、数多く対局していますが、藤井システムは従来の常識からは考えられない最先端の定跡で、対策にはいつも悩まされています。正直に言って昨年のシリーズではまだ迷いがありました。

 情報化時代の流れの中で、常識でなかったものが時間がたつと常識になることもあり、自分で何かを創造したというよりも、情報化時代の波に乗れたタイミングのよさが、今回の結果につながりました。

 竜王戦は誰にでもチャンスがある棋戦なので、これでほっとすることなく一歩一歩前進していきたいです。技術、体力は10代の頃とは違いますが、自分なりの考え、方向性を見つけていこうと思っています。2年前からは竜王戦のインターネット中継が行われましたが、私自身も対局後、家に帰って掲示板のファンの声を見るのが楽しみで(笑)、励みになりました」

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「2年前からは竜王戦のインターネット中継が行われましたが、私自身も対局後、家に帰って掲示板のファンの声を見るのが楽しみで(笑)、励みになりました」と語る羽生善治竜王。

そもそも、竜王戦のインターネット中継が誕生したきっかけは羽生善治五冠(当時)の一言からだった。

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2000年の竜王戦七番勝負の第何局かの対局地へ向かう新幹線の中でのこと。

羽生五冠の席の隣には読売新聞の担当の小田尚英さんが座っていた。

雑談をしているうちに、羽生五冠が、

「小田さん、竜王戦でインターネット中継はできないものでしょうか」

この頃は、王位戦七番勝負でインターネット中継が行われたことがあったが、解説は無くて、進行に合わせて局面が更新されるだけというものだった。

対局場に着くと、小田さんは、武者野勝巳六段(当時)に相談をした。武者野六段は竜王戦の観戦記も書いていたが、その時は観戦記担当ではなく、近代将棋の仕事でたまたま対局場に来ていたようだ。

その後のことは、先週の記事(武者野六段の観戦記)、藤井猛竜王(当時)「高美濃より美濃囲いの方が急戦には適している」に書かれている。

物事がうまくいく時は、普通ならそこにいるはずのない武者野六段が対局場にいる、などのようにタイミングの良いことが重なるものだ。

2000年の竜王戦第5局からインターネット中継が開始される。

指し手の解説や対局室・控え室の様子が1手1手につく現在の様式は、この時に始まった。

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「羽生さん自身、私は化け物でない、誰もが持っている可能性を追求しただけと言われています。飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの。イチローも同じことを言っていますが、この二人の天才、化け物がいなくなってしまうと我々はどうしたらいいのか(笑)」

糸井重里さんの挨拶が印象的だ。

「飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの」が絶妙の表現。

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羽生三冠は、糸井重里さんの会社(当時は東京糸井重里事務所、現在は株式会社ほぼ日)で作っている「ほぼ日手帳」のユーザの一人として、ほぼ日手帳のサイトで紹介されたことがあった。

羽生善治名人の手帳

 

 

二上達也棋聖(当時)「10回目てのは危ないんですよ」

将棋世界1982年5月号、「名人戦、私はこう見る 各界予想アンケート」より抜粋。

 第40期名人戦の挑戦者はいよいよ加藤一二三十段に決まった。現在の中原誠名人にとっては最大の難敵といって過言ではあるまい。戦いを前にして中原名人は意外に余裕の発言。一方の加藤十段はインタビューも断って無言の闘志を表わす。両雄の師匠、A級棋士、各界将棋通の見る名人戦はさて……。

質問1 勝敗予想、○対○で○○勝ち。その理由は?
質問2 あなたが挑戦者なら、中原名人攻略にどんな手を考えますか?

中原誠名人

 加藤さんが挑戦者になりましたが、これは去年の暮に加藤-内藤戦で加藤さんが勝った時から予想してましたからね。加藤さんというと以前はカラ咳などのクセが気になったこともありますが、最近はそれほどでもありません。タイトル戦で顔が合うのは一昨年の十段戦以来ですが、加藤さんは今絶好調のようなので私としてもうまく第1局に向けて調子を持っていきたいですね。まあマイペースで自分の力を出せればと思っています。

大山康晴十五世名人

  1.   中原さんも加藤さんも今が指し盛りで、気力、体力すべてに充実した時で実力を十分出しきる好勝負になるでしょうね。中原さんのほうが名人戦のひのき舞台は慣れているという意味はありますけど加藤さんも好調ですからね。いい勝負でしょう。

藤沢桓夫(作家)

  1.  4-3で中原。最近の加藤一の充実は素晴らしい限りだが、中原もひと頃の不調を脱したと見る。そこで両者間の過去のデータが物を言って、中原が僅かの差でタイトルを守るでしょう。
  2.  正直なところ、この顔合わせは、また全局似たような相ヤグラに終始して、ファンをうんざり退屈させるのではないかと憂えられる。大内や森みたいに中原を苦しめ、ファンをハラハラさせたいのだが、加藤一は振り飛車は指さないし、ハテ困った。桐山か森安に出て来てほしかった。中原を倒すのはやはり振り飛車、私はそれで行く。

石堂淑朗(脚本家)

  1.  四対三で加藤の勝ち。木村、大山両名人とも在位中に一度ずつ塚田、升田に名人位を奪われています。中原名人にも一度は生じましょう。人の子ですから。中原名人から一度は名人位を奪いそうな人、それは、精進の人加藤十段です。今年の加藤氏はラスト・チャンスと最後の力を振りしぼります。稀に見る大勝負です!
  2.  対局場に入る前に”勝つと思うな、思えば負けよ”と三度、呪文のように唱えます。

高木彬光(作家)

  1.  四-三にて中原名人の勝ち。
  2.  わかりません。もしわかったら今ごろは挑戦者になっているでしょう。

リーガル秀才(漫才師)

  1.  4対2で中原名人の勝ち。演芸家名人戦やその他の件で色々とお世話になってる個人的熱望で……?
  2.  名人に精神的動揺を与えるより他に手段はありません。ただ毒薬入りのレモンやオレンジはいけません。下らないシャレを連発して集中力を欠かせるのが一番だと思います。

永六輔(タレント)

  1.  ○対△で□□の勝ち。(勝負ですから)
  2.  いきなり張り倒します。

川谷拓三(俳優)

  1.  4-2で中原名人。よゆうか…!
  2.  無手勝流

二上達也棋聖

  1.  4-3で加藤十段の勝ち。つまりね、加藤さんの調子そのものより、中原さんの調子が問題なんですよ。それと中原さん9連覇でしょ。10回目てのは危ないんですよ。
  2.  中原さんは相手のことを気にするようなところがある。だからそういう面を逆用してなにか気を使わせるようなことを考えるのがいい。森さんみたいに頭剃ったりしてね。フフ。

米長邦雄棋王

  1.  4-2で加藤十段の勝ち。加藤一二三十段の勝ち。尊敬する大好きな加藤さんに勝って欲しいから。
  2.  これが思いつかないのでいつも苦戦している。

高橋健二(独文学者)

  1.  四対三で加藤十段の勝ち。加藤十段は安定した強味と粘りを高めているから。
  2.  名人に攻めさせる策戦をとる方がよいと思う。

遠藤周作(作家)

  1.  加藤4-3中原。まさに今期の加藤(一)は絶好調である。加えて対内藤戦、石田戦等苦しい将棋をひろったツキを重んじたい。
  2.  左美濃をやらないという約束なら振り飛車、他には考えつかない。

森雞二八段

  1.  4対3で中原の勝ち。接戦だとは思うが、やはり今までの実績がものをいうんじゃないの。いや、逆の目もあるかもしれないね(笑)
  2.  これは軍の機密だから教えられない。秘密にしとかなきゃ(笑)。挑戦者になったらバンバン私が教えます。

内藤國雄九段

  1.  4-3で加藤勝ち。運勢上加藤さんが一度名人になると思う。それは今年である。
  2.  私も名人をねらっている一人だから、ちょっと言うわけにはいきませんね。

小松方正(俳優)

  1.  四対二で中原名人。
  2.  無手勝流(勝てる手なんてあるんですか?)

湯川恵子(女流アマ名人)

  1.  4-3で中原勝ち。中原不調、加藤絶好調のようですから、七局までいって、「最後の一番に強い」中原が防衛でしょうか。
  2.  銀多伝定跡(二枚落ち)でせまります。もし、私がプロで名人戦の挑戦者ならという意味でしたら、それはあなた、そうなってみなければわかりません。

北杜夫(作家)

  1.  四勝二敗で中原名人の勝ち。加藤十段も好調ですから、先勝すればもっともつれるかも。
  2.  大山流のふり飛車。

吉田拓郎(歌手)

  1.  4対3で中原氏の勝ち。「口で言えない、中原の強さ」
  2.  仕方無いので、私の場合、6枚落ちでお願いするでしょう。

市川海老蔵(歌舞伎役者)

  1.  四対三で中原名人の勝。
  2.  私が挑戦者なら―相やぐら。

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ここに抜粋した以外に、倉島竹二郎さん、桐山清澄八段、土岐雄三さん、南芳一五段、赤木駿介さん、中村修五段、林秀彦さん、田中寅彦六段、鈴木輝彦六段、東公平さん、蛸島彰子女流名人・王将、高橋道雄五段、豊田穣さん、冨士眞奈美さん、淡路仁茂七段、つのだじろうさん、福崎文吾七段、山田良一さん、森安秀光八段、高柳敏夫八段、南口繁一八段が予想を述べている。

集計をすると、

中原誠名人の勝ち 18人(うち棋士3人)

加藤一二三十段の勝ち 8人(うち棋士4人)

わからない 13人(うち棋士9人)

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加藤一二三名人が誕生することとなるが、二上達也棋聖(当時)と内藤國雄九段の予想が特に冴えている。

二上棋聖の「10回目てのは危ないんですよ」は、それまでの事例としては、大山康晴十五世名人が王将戦で9連覇(1963年~1971年)、この後には、羽生善治三冠が王位戦で9連覇(1993年~2001年)、渡辺明竜王が竜王戦で9連覇(2004年~2012年)のケースがある。

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10連覇目を見事に乗り切ったのは、

羽生善治王座 19連覇(1992年~2010年)
大山康晴名人 13連覇(1959年~1971年)
大山康晴王位 12連覇(1960年~1971年)
羽生善治棋王 12連覇(1990年~2001年)
大山康晴十段 10連覇(1958年~1967年)

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映画『ニューシネマパラダイス』で、一人の女性に恋をしている主人公トトに、トトが父のように慕っているアルフレードが聞かせる物語がある。

昔々、王様がパーティーを開いた。その時に護衛の兵士が王女を見て、一瞬のうちに恋に落ちてしまった。

ある日、兵士は王女に話しかける。王女なしでは生きていけぬ、と。

王女は彼の深い思いに驚いて、次のように言った。

「100日の間、昼も夜も私のバルコニーの下で待ってくれたら、あなたのものになります」

兵士はすぐにバルコニーの下に行く。2日…10日 20日たった。毎晩、王女は窓から見たが兵士は動かない。

雨の日も風の日も雪が降っても、兵士は動かなかった。

そして、90日が過ぎた。兵士はひからびて真っ白になった。眼から涙が滴り落ちた。涙をおさえる力もなかった。眠る気力さえなかった。王女はずっと見守っていた。

99日目の夜、兵士は立ちあがり、椅子を持って行ってしまった

トト「最後の日に?」

アルフレード「そうだ、最後の日にだ。なぜかは分からない」

そして、アルフレードは「分かったら教えてくれ」と言ってトトと別れる。

二上棋聖の「10回目てのは危ないんですよ」とは意味するところは異なるが、9連覇、19連覇という数字を見ると、この話を思い出してしまう。

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兵士がなぜ最後の日に去っていったのかは、本当に分からない。

映画の前後関係から判断すると、主人公のトトが愛している女性とトトは結ばれない運命(彼女の親が身分の高い銀行の重役で、家柄的にトトとの交際には非常に否定的)であることを、いずれはトトに気付いてほしい、そして、彼女のことは忘れて自分の進むべき道に邁進してほしい、というアルフレードの思いから語られた物語のようだ。

 

 

NHK杯戦決勝の結果を収録日のニュース番組で報道していた時代

将棋世界1980年5月号、NHKの沢みのるさんの「NHK杯戦 大山十五世名人堂々七回目の優勝」より。

 決勝戦の録画は3月3日に放送センターの108スタジオで行った。

 解説が中原名人、聞き手が永井英明さんという豪華メンバーである。

 昨年までは、録画の日、つまり実際に優勝者が決定した時点で、「ニュースセンター9時」などで結果をお知らせしていたが、今年からは放送の日まで発表は伏せることにした。「テレビ将棋は、先に結果がわかってしまうと面白くない」という多数の意見に従ったもので、大方のファンの皆さんにも賛成して頂けるものと思う。(しかし、中にはわざわざ電話で結果を問い合わせて来られる方もいて、人さまざまの感はあるが―)ひと昔前まではNHK杯戦も現在のように注目されていなかったから、年に一回だけニュースにとり上げてもらえることが大変なPRだと喜んでいたものである。一般的なニュース価値と、純然たるテレビ将棋ファンの気持ちとの、どちらを取るのが正解か、なお議論の余地は残るとしても、ファンのパワーの増大によって時代が変わって来たという感は深い。

 さて、結果は3月16日の放送でご覧の通り、大山康晴十五世名人が堂々7回目の優勝を飾り、通算の優勝記録を117と伸ばすことになった。

 初優勝をねらって意気込んだ森雞二八段にとっては、どうも残念というほかない結果であった。こんな筈ではなかったのに―という森八段の嘆息が、見ている者にまで伝わってくる感じの終盤だった。

(以下略)

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「ニュースセンター9時」とは懐かしい番組名だ。

「ニュースセンター9時」は、1974年4月から1988年3月まで放送された非常に人気の高かったNHKのニュース番組。

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長所の裏返しが短所、短所の裏返しが長所であるように、一つの意思決定には”あちらを立てればこちらが立たず”というようなことが必ず付いて回る。

NHK杯戦決勝の結果の報道も、その典型例と言えるだろう。

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現在の放送スケジュールと同じならば、準決勝2局が放送される前のタイミングでの決勝の結果の報道。

たしかに、決勝戦だけではなく準決勝2局の勝敗結果も放送前にわかってしまうわけで、テンションが下がる視聴者が増えることは間違いない。

広報面のメリットよりも視聴者が感じるデメリットの方が大きく、放送の日まで発表を伏せる方式は大正解だと思う。

 

 

 

山崎隆之六段(当時)「握手した羽生さんの手は優しかったが、明日は厳しい手が来ると思う」

将棋世界2005年6月号、巻頭グラビア「第23回朝日オープン将棋選手権五番勝負第1局前夜祭」より。

 対局前日の前夜祭。火花が散る、なんてことはなく二人はガッチリと握手。対局者の握手は珍しい?

「握手した羽生さんの手は優しかったが、明日は厳しい手が来ると思う」と壇上で挨拶した山崎六段に対し、羽生選手権者は「新年度の1局目に若手のホープと対戦できてうれしい」と語った。

写真: DSC_0218
将棋世界2005年6月号掲載の写真。名古屋東急ホテルにて。撮影は河合邦彦さん。

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写真の右側の女性は、高校1年生の時の室田伊緒女流二段。

2004年度に女流アマ名人となり、この時は育成会員。

写真の左側の女性は、女流アマ名人戦3位の山口真子さん。

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それにしても、愛知県在住の女子高生が同じ年の女流アマ名人戦で優勝と3位なのだから、すごいことだと思う。

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いつも考えることだが、誰がどちらの対局者に花束を手渡すか、どのようにして決めているのだろう。

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対局者同士の握手は珍しいが、羽生善治名人と山崎隆之八段の握手だと何か自然な感じがするから不思議だ。

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高校入試の時、面接があった。

挨拶をして着席するなり、面接を担当している先生が右手を差し出した。

(お、、、これは面接の前に握手をしようというのかな、さすがミッションスクール、欧米風だ)

と思って私も右手を差し出すと、

「受験票」

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入学してから、面接をしてくれた人が宗教主任の聖書の先生であることがわかった。豪快な人だった。

高校2年の時だったか、聖書の授業の時間にその先生が、「入試の面接の時、僕が右手を差し出したら、握手だと思って手だけを差し出してきた間抜けな生徒がいて・・・」と雑談を始めた。

話を聞いていると、かなり昔の話だったので私のことではなかったようだが、面接の時に私も間抜けだと思われていたのは間違いないわけで。