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升田幸三実力制第四代名人の不安そうな表情の写真

将棋世界2001年7月号、田丸昇八段(当時)の「セピア色の棋士たち」より。写真は清水孝晏さん撮影。 昭和20年代半ばから30年代にかけて、東京・中野の旧将棋連盟本部で年末に「棋士のど自慢大会」が催されるのが恒例行事だったそうで、何とそれがN...
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芹沢博文八段(当時)「私は同情をひこうと云う意ではなく、実に可哀想な男だと思う。つまり一度として一所懸命になったことがないのである」

将棋世界1980年4月号、芹沢博文八段(当時)の「四十三歳の記」より。 私の故郷は静岡県沼津市である。親戚の結婚式に出席のため久し振りに二月の初旬に帰った。(中略) 親父は私が来るのを待ち兼ねたように母に酒の支度を云いつけるのであった。兄貴...
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「羽生を起こすのは止めて下さい」

将棋世界2001年3月号、加藤昌彦さんの「あほんだら、アウトロー 〔いつか会えたなら 羽生善治五冠〕」より。 羽生と初めて会ったのは、2年に一度行われる奨励会東西合同の旅行だった。当時、羽生は13歳の少年で既に二段となっていて、大人顔負けの...
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羽生善治四冠(当時)「街を歩いていても、名人戦のことが頭に浮かんでしまう」

将棋世界2001年1月号、毎日新聞の山村英樹さんの「羽生善治の軌跡 第1回」より。「羽生善治五冠について、リレー形式で連載するので、その第一回を書いていただきたい」と、編集部から依頼があった。羽生の足跡を綴る企画のトップバッターとしては、1...
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不倶戴天の敵

将棋世界1980年4月号、コラム「有吉・内藤ライバル物語り」より。「不倶戴天の敵」と衝撃的かつオーバーな見出しで内藤九段と有吉九段のライバル物語りが活字になった。 掲載したのは特ダネ最前線(日本文芸社刊)という雑誌の3月号である。目ざとい奨...