読む 佐藤康光名人(当時)「私の将棋は全面的に彼に認められていなかったと思う」 将棋世界1998年10月号、佐藤康光名人(当時)の村山聖九段追悼文「村山さんのこと」より。 村山死す、の報は8月10日、連盟で所用を終え、お昼を食べに行こうとした時に知らされた。 私は彼の病状を詳しく知らなかったが、気にしてはいなかった。そ... 2015.08.06 読む
読む 羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」 将棋世界1998年10月号、羽生善治四冠の村山聖九段追悼文「突然の訃報」より。 8月10日、連盟で対局をしていると、昼休みに村山八段が亡くなられた事を知った。「そんな…」信じられない気持ちだった。 結局、4月に広島で行われた名人戦イベントの... 2015.08.05 読む
読む 「心優しき青年 井上慶太四段」 将棋世界1983年4月号、「今期3人目の新四段 心優しき青年 井上慶太四段」より。 大野八一雄、加瀬純一両四段に続き、今期3人目の新四段が誕生した。19歳になったばかりの井上慶太四段がその人である。 2月4日、神吉宏充三段に逆転勝ちし13勝... 2015.07.30 読む
読む 非業の天才棋士 将棋世界1983年1月号、金子金五郎九段の「将棋を考える」より。 われわれプロは感覚という言葉を使う。たとえば、同じ棋力の同士の対局がすんだ後、感想戦に移ったとき「この手は自分の感覚とちがっていた」などという。大局的な意味であるが、その手の... 2015.07.28 読む
読む 大山康晴十五世名人「わが家の宝物のなかに二枚の陶板があります。一枚は『助からないと思っても助かっている』 もう一枚は『一灯破闇』という文字が書いてあります」 将棋世界1988年9月号、故・福本和生さんの「検証・素顔の棋士達 大山康晴十五世名人」より。 現在の東京・将棋会館は昭和51年に完成した。地下1階、地上5階のビルの骨組みが出来あがったころ、大山康晴会長の案内で内部を見学させてもらった。 階... 2015.07.24 読む