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羽生善治三冠(当時)「やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に入れることが出来た」

将棋世界1993年5月号、羽生善治三冠(当時)の「昇級者(B級1組→A級)喜びの声」より。希望と不安 四段に昇段し、順位戦に参加するようになって7期になる。 やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に...
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4度目のA級復帰を決めた加藤一二三九段

将棋世界1993年5月号、鈴木輝彦七段(当時)の第51期順位戦B級1組・最終局「価値の座標軸」より。 特別対局室の加藤-森安戦は3図。 自力昇級の望みは加藤先生だけだが、負けた場合は内藤-福崎戦の勝者の昇級となるだけに、神戸組の森安さんとし...
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屋敷伸之六段(当時)「マンセルを好きなわけは、なんといっても危ない魅力にあります」

近代将棋1992年5月号、屋敷伸之六段(当時)の連載講座「寄せるが勝ち」より。 車の免許をとってから、旅行することが多くなってきた。去年の11月に福島へ行ったのを皮切りに、いろいろなところへ乗り回している。 どこからつながっているのか、はた...
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羽生善治三冠(当時)が村山聖六段(当時)に送った声援

将棋マガジン1993年3月号、羽生善治三冠(当時)の「今月のハブの眼」より。 12月は角換わりの将棋がとても多かった。8局中4局、ちょうど半分である。矢倉が主流となっているプロ棋界ではとても珍しい。 と言うわけで、今月は角換わり特集にする。...
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真剣師を志願した中学生

近代将棋1992年9月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。 木村義徳八段を通天閣将棋センターに案内する。前々から木村先生に「大田さんにお会いして、昔の真剣師時代の話をお聞きしたい。紹介してくれませんか」と言われていたのだ。 大田さんは数日...