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「縁の下の力持ち」の引退

将棋世界1992年6月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『引退』」より。 3月31日―。 一人の棋士が静かに棋界を去った。吉田利勝七段。八段昇段まであと6勝、59歳の誕生日を数ヶ月後に控えての引退である。 棋士(四段)になったのは19...
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山崎隆之四段(当時)「ウソダロ、ナンデダヨ」

将棋世界1998年10月号、山崎隆之四段(当時)の村山聖九段追悼文「心に残る人」より。「村山先生が亡くなった」突然の知らせだった。ウソダロ、ナンデダヨ。「ずっと体調が悪かった事は、”絶対に知られたくない”との本人の希望で知らせなかった」心配...
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先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」

将棋世界1998年10月号、先崎学六段(当時)の村山聖九段追悼文より。 今、僕は東北の温泉に居る。静養のためである。行く前に、三つ、誓を立てた。一、酒を飲まない。二、嫌なことを思い出さない。三、嫌なことに触れない。 そこへ、村山聖が死んだと...
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森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」

将棋世界1998年10月号、森信雄六段(当時)の村山聖九段追悼文「村山君よ、安らかに」より。 昭和57年9月、お母さんに連れられて、関西将棋会館の道場で会ったのが、村山君との初めての出会いだった。 ワイシャツの袖をまくり上げ、足元を見ると裸...
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郷田真隆棋聖(当時)「それよりも何よりも一人の人間として、私はムラヤマヒジリが好きでした」

将棋世界1998年10月号、郷田真隆棋聖(当時)の村山聖九段追悼文「村山君との思い出」より。 八月十日、将棋連盟で滝先生より村山君の訃報を知らされて、あまりに突然のことに言葉を失くしました。一年、或いはもう一年、体調を戻して元気に復帰してく...