読む 升田幸三実力制第四代名人「木村、生きとれ」 将棋世界1991年6月号、「さらば、升田幸三 ―傑作語録集」より。「名人に香車を引いて勝つまで帰らん」 昭和7年13歳の時、母親が毎日使っている物差しの裏に書き置きを残して家出する。ただ将棋界の情報に詳しくなかったため本当は、「この幸三、名... 2020.01.26 読む
読む 大山康晴十五世名人「さようなら、升田さん」 升田幸三実力制第四代名人は、1991年4月5日に亡くなった(享年73歳)。将棋世界1991年6月号、大山康晴十五世名人の「さようなら、升田さん」より。大山十五世名人による追悼文。 升田さんとの出会いは、私が木見先生のところに弟子入りしたその... 2020.01.25 読む
読む 羽生善治前竜王(当時)「カナダ、ヨーロッパなどがいいかな。フランクフルトへもまた行きたいと思っています」 将棋マガジン1991年5月号、羽生善治前竜王(当時)の「懸賞 次の一手」より。 順位戦がひと区切りつく4月頃、たいがいの棋士はその時期に旅行をするようです。 私は昨年オーストラリアに行ってきましたが、今年はまだ予定も立てていません。 よく一... 2020.01.23 読む
読む 先崎学五段(当時)「竜王を獲ったときより、うれしそうな顔をしている」 将棋マガジン1991年6月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:羽生善治 独り立ちの勲章」より。 いま考えると、四、五段時代の羽生は、将棋の常識を変えかねない一面をもっていた。序盤の作戦勝ちとか、中盤、指しやすそうだとかの常識が、この少年には通用... 2020.01.19 読む
読む 大山康晴十五世名人「次に何があるんかね。110番(警察)117番(時報)119番(救急)と目標をつくってきたが」 将棋世界1991年4月号、井口昭夫さんの「名人の譜 大山康晴」より。 優勝回数が119回になったとき、大山は「次に何があるんかね。110番(警察)117番(時報)119番(救急)と目標をつくってきたが」とつぶやいた。 その大山が次に目標とし... 2020.01.13 読む