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板谷進八段(当時)の百万言に相当する心のこもった一言

将棋世界1988年7月号、池崎和記さんの「棋士の女房・お袋さん 小林映子さん(小林健二八段夫人)」より。「私が先生と初めてお会いしたのは、今からちょうど16年前、あの浅間山荘の事件の直後であった」 と、小林健二八段は『将棋マガジン』5月号に...
インタビュー・対談

板谷進八段(当時)「マスコミが将棋界のことを、なんでもいい、とりあげてくれただけで、私は感謝しますよ。私で役に立つなら、いくらでも協力する」

将棋マガジン1991年4月号、高橋呉郎さんの「小林健二 体力将棋の継承者」より。 板谷には「将棋は体力なり」という有名な台詞がある。板谷の将棋を見ていると、その一端に触れたような気がしてくる。最初に観戦したときの相手は、松田茂役九段だった。...
インタビュー・対談

升田幸三実力制第四代名人「何や長い名をもらったが、将棋の方は30年前から大名人じゃ」

将棋世界1988年6月号、近況インタビュー・升田幸三実力制第四代名人「碁は聖、将棋は大名人」より。 お元気そうにお見うけしますが、最近の体の調子の方はいかがでしょう。今日は、近況のインタビューということでうかがいました。どうぞよろしくお願い...
奨励会

将棋会館が建ってから最低でも12年は続いていた恐ろしいジンクス

将棋世界1988年4月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。 千駄ヶ谷に今の会館が建ったのは、昭和51年。それから現在に至るまで、色々な話が出来た。その中の一つを。 級位者の部屋。幹事の席から見て一番左奥の、床の間を背にした席のことを...
奨励会

「実はぼく、この中の坊瑞苑での最初の記録係なんです」

近代将棋1984年10月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。 その検討会を見ていて思い出すのが、谷川さんが王位戦で記録係をつとめたときのことだ。 あれは勝浦修八段が中原誠王位(当時)に挑んだ年のことだから、昭和51年の第17期王...