随筆

奨励会に入る1年前の羽生善治少年の写真

将棋世界1994年8月号、写真家の弦巻勝さんの写真エッセイ「ぼくのアルバムから 羽生さんの子供の頃」より。 小学校5年生、将棋のプロになっていないが、すでに噂の羽生睨みは僕の写真に写っている。 かわいらしくてハキハキしていて、子供将棋大会で...
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羽生善治三冠が初めて名人になった日

将棋世界1994年8月号、青野照市八段(当時)の第52期名人戦第6局〔米長邦雄名人-羽生善治棋聖〕観戦記「さわやかなる交代」より。 「投げたみたいだ」 その一言を合図に、カメラマンや記者達がどっと繰り出し、たちまち対局者の周りはフラッシュの...
タイトル戦の食事

名人戦第2局対局場「熱塩温泉 山形屋」

名人戦第2局は、福島県喜多方市の「熱塩温泉 山形屋」で行われる。→中継山形屋は、地元有機農法(喜多方市熱塩加納町は全国でも有名な有機農業の里)で栽培した食材を使った手造り料理、熱塩温泉随一の景観を誇る大浴場、炭の癒し効果を利用した炭床低温サ...
随筆

森内俊之六段(当時)「佐藤君は強いな」

将棋世界1994年5月号、森内俊之七段(当時)の順位戦昇級者喜びの声(B級2組→B級1組)「好球必打」より。 「10分、20分、30分」と時が刻々と過ぎていく。私はこの長い時間何を考えていたのかよく覚えていない。盤面を見て先を読む気がしなか...
観戦記

羽生善治六段(当時)の中飛車と加藤一二三九段の中飛車破りの激突

将棋マガジン1990年1月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。 アマチュアでは振飛車の愛好家が多い。それに対して、プロの振飛車党は年々すくなくなりつつある。勝つことばかり考えていいのだろうか。 そんななかで、羽生が時々ではあるが、振...