羽生善治三冠が初めて名人になった日

将棋世界1994年8月号、青野照市八段(当時)の第52期名人戦第6局〔米長邦雄名人-羽生善治棋聖〕観戦記「さわやかなる交代」より。

感想戦が終わり共同記者会見の時。将棋世界同じ号より、撮影は中野英伴さん。

 「投げたみたいだ」

 その一言を合図に、カメラマンや記者達がどっと繰り出し、たちまち対局者の周りはフラッシュの嵐に包まれた。

 努めて冷静に振るまう、この時点から前名人となる米長と、たった今頂点を極めた興奮を内に秘めて、淡々とインタビューに答える羽生を見て、そう言えばこれと同じ光景を11年前にも見たことを思い出した。

 あれは谷川が加藤に挑戦した第41期名人戦で、七番勝負の経過も出だし挑戦者が三連勝し、後を二番名人が返した同じ展開で、しかも私が副立会人を務めるという、まったく今回と同じ状態であった。

 ただあの時と違うのは、加藤-谷川戦が二日目の夜戦に入っても優劣不明で、終わった直後に異様な雰囲気に包まれていたのに較べ、この将棋は二日目の夕食休憩にはかなり差がついていて、双方共に名人交代への、ある程度の覚悟を決めていたのか、特に米長名人のさわやかさが印象に残っている。

(中略)

 対局の前日、対局したホテルにおいて、ファンを含む前夜祭が行われた。これはシリーズの前半ならよく行われるが、名人が交代するかもしれないという時点でのそれは、むしろ異例と言ってよく、関係者だけで夕食会が開かれる方が普通である。

 この夜の二人は、まったく対照的と言ってよい程であった。挑戦者が終始リラックスして、ファンと歓談していたのに反し、名人の方はかなり緊張していると私の目には映ったからである。

 名人も三連敗した時点では、名人交代を覚悟したに違いない。第4局、5局では、勝負うんぬんより名人として恥ずかしくない将棋を指そうという心境ではなかったろうか。

 しかし二番返してみると、実際に防衛への道が見えてくる。反して挑戦者は若いだけに、三連勝した時には多少の驕りもあったろうが、むしろ連敗してかえって、ベストを尽くして敗れれば仕方がないという心境に変化したのかもしれない。

 それにしても、棋界の宣伝マンとしての使命を自負する米長には、対局目のファンとの交流や激励を、迷惑という訳にはいかず、ありがたいことだけによけい辛かったろう。

(中略)

 羽生は第一人者としては、今までにないタイプである。周りの要望に対しては、過去の棋士の誰よりも気さくにこたえるところがある。ファンの交流、公開対局、インタビュー等で、彼がイヤな顔をしたのは見たことがない。

 そのかわり一人の棋士としては威厳、格式よりも、勝負そのものを重視する傾向にあると思えるところがある。

 今までの名人では、その所作、対局態度においても、第一人者としての風格を備えなければならないという責任感があったのに対し、彼はこと対局となったら、対局開始早々あぐらをかき、頭を垂れたり体を傾けたりと、実に対局中の動きが大きい。

 囲碁の棋士は、タイトル戦であろうとラフな服装をしたり、対局中にぼやいたりと、およそ勝つため以外の気を使わないと聞くが、むしろその囲碁界的と言える。

 無論、どちらが正しいなどと言う気はないが、羽生が新しいタイプの風格を作りつつあることだけは確かである。

(中略)

 打ち上げの席では、もうすっかりさわやか流の笑顔が、米長に戻っていた。それにしても、原田泰夫正立会人を交え、新旧の名人が並んで万歳したのには驚いた。まさに前代未聞だからである。

 米長にすれば、せいいっぱい指したことの満足感と、新名人への激励と、これから必ず将棋界もよい時代が来るという意味の、祝福であったに違いない。

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近代将棋1994年8月号、故・田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物」より。

 23歳の羽生善治四冠王が当然のように名人位に就き、5タイトルの保持者に復した。竜王と名人が振り替わったことになる。羽生は既に竜王2期、棋王4期、棋聖・王座各2期、王位1期を手中に収め、今度の名人位が12個目のタイトルだったから、11年前に21歳の谷川浩司がタイトル戦初登場で、いきなり名人位を奪取したときの衝撃はさらさらない。それにしてもタイトルに7度挑戦して全勝とは恐るべき強さだ。

 谷川と羽生とでは名人になったときの状況が異なっているのは確かだが、共通点もまた、すこぶる多い。

 二人とも”十六世名人”の中原誠が、加藤一二三、米長邦雄という先輩に名人を奪われた翌年に挑戦者になった。谷川は43歳の加藤、羽生は50歳の米長と、年齢差の甚だしい大先輩から名人位をもぎ取った。ともに加藤、米長の初防衛の望みを打ち砕いたのだ。

 しかも七番勝負の経過がそっくり。谷川も羽生も立ち上がり3連勝して、たちまち名人をかど番に追い込み、その後2連敗。そして、第6局できっちり決着をつけ、4勝2敗で名人になった。何という符号だろう。どうやら、歴史は繰り返すものらしい。

(以下略)

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羽生善治三冠が初めて名人になった時と谷川浩司九段が初めて名人になった時の共通点をまとめると、次の通りとなる。

  • 青野照市九段が副立会人だった
  • 3連勝2連敗後の第6局で決着をつけ4勝2敗で名人位を獲得
  • 中原誠名人を前年度破って初めて名人になった棋士から名人位を奪っている

偶然とは言え、なかなか起きない確率だ。

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羽生善治新名人が誕生した第6局、対局が終了したのが午後9時1分、感想戦は1時間以上行われたという。その前か後に共同インタビューがあったので、打ち上げが始まったのは午後11時頃と思われる。

近代将棋1994年8月号のグラビアには、

 打ち上げの宴。大広間の両端で別れて飲んでいた両雄だったが、深夜1時「新名人を表敬訪問しよう」と米長名人が、同じ57年組の佐藤康光竜王を誘って羽生新名人のテーブルにおもむき、健闘を讃え合った。

と書かれていて、写真は羽生新名人が米長前名人の盃に日本酒を注ぐシーン。

打ち上げが始まってから2時間以上経った頃。

羽生新名人の目の前のテーブルには盃ではなく茶碗が置かれている。「さ、さ、今日はどんどん行かなきゃ」と言われて茶碗で日本酒を飲むことになってしまったのか、茶碗蒸しの容器なのか、判別はつかない。

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同じく近代将棋1994年8月号のグラビアより。

 前夜は一睡もせず(できず?)娯楽室で、明け方まで雀卓を囲んでいた新名人。朝刊、一面の自分の写真を見せら照れる。その後、NHKテレビ・7時のニュース(生中継)に出演した。

羽生三冠が徹夜で麻雀を打つというのは非常に珍しいことだが、打ち始めが午前2時頃からだとすると、厳密には徹夜麻雀とは言い切れないかもしれない。

後に判明することだが、この時、眠ってしまったら起きられない(NHKのニュースに穴を開けてしまう)と羽生新名人が考え、徹夜をしたという。