森内俊之六段(当時)「佐藤君は強いな」

将棋世界1994年5月号、森内俊之七段(当時)の順位戦昇級者喜びの声(B級2組→B級1組)「好球必打」より。

 「10分、20分、30分」と時が刻々と過ぎていく。私はこの長い時間何を考えていたのかよく覚えていない。盤面を見て先を読む気がしなかった。いやできなかったといった方が正しいかもしれない。考えれば考えるほど絶望的な気分になるのは分かっていたから。

佐藤君は強いな

 △3一金▲4二角成△同金▲1二桂成△同玉▲2三銀△1三玉▲1四銀成△同玉▲2二飛成△2三銀▲4二竜△3二金。その後も正しく指されればとても勝てるとは思えない。

 佐藤君の持ち時間は1時間を切った。△3一金と引くならあと30分は考えるはずだ。私はまたボーッと考えごとをしていた。10手前は優勢を確信していた。端歩の突き捨てを怠ったばかりにこんなことになるなんて。気が付かなかった自分を馬鹿だと思ったが、自分を責める気にはならなかった。「佐藤君は強いな。竜王戦で負けたのは仕方がない。次の新人王戦でも勝てないかもしれないな」 昇級レース脱落の危機に立ちながら何故か冷静な分析をしていた。しばらくして彼の手が駒台の駒に触れた。指し手は△2七歩だった。

 その後は苦しい将棋が多かったが、逆転勝ちが増え、競争相手がバタバタと敗れるという幸運にも恵まれ、残り3局を2勝1敗で昇級というチャンスを迎えた。状況的にはかなり有利だったが、去年の例もあるので油断はしていなかった。8局目に敗れ、ムードは悪いと思ったが、9局目に勝つとラッキーな事に昇級が決まっていた。振り返ると、つくづくついていたレースだったと思う。

 来期はB級1組。総当りで一局一局の比重も下がり、負ける事の恐怖感からは少し解放されそうだ。その分、チャンスがあればどんどん踏み込んでいく勢いのいい将棋を指したいと思う。クラスがあがった分、内容も1ランクアップできるよう頑張りたい。

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取り上げられているB級2組順位戦の対佐藤康光七段(当時)戦は、森内俊之六段(当時)が2勝1敗で迎えた第4戦目のこと。

森内俊之六段はこの期は8勝2敗で昇級を果たしている。

もう一人の昇級者は桐山清澄九段(9勝1敗)だった。

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この当時の森内俊之六段は佐藤康光七段を「佐藤君」と呼んでいる。

森内俊之六段は佐藤康光七段より学年が一つ下。

やはり森内六段と同じ年(学年)の羽生善治四冠(当時)も、もっと以前に佐藤康光七段のことを「佐藤君」と呼んでいる。

長い間、将棋界ではプラスマイナス一学年くらいなら同学年のような雰囲気なのかな、と大まかに考えていたのだが、よくよく自分のことを思い出してみると、大学では同学年なら年上の同級生でも呼び捨て、あるいは君付けだったことに気がつく。(さすがに二浪以上または前年度留年の同級生には当初はさん付けだったかもしれない)

森内俊之竜王名人も羽生善治三冠も佐藤康光九段も奨励会は1982年12月の同時期の入会。

そういう意味では、通っている学校の学年ではなく、奨励会同期という世界が主軸となって、「佐藤君」、「森内君」、「羽生君」の呼び方になっていることが分かる。

奨励会入会と志望校への入学、あくまで通過点だけれども、入れて嬉しい・一安心という点でも共通点がある。