誰かに似た人

先週、「20年前の対局時計の広告で、鈴木京香に似た人がモデルをやっていたんだなと軽く考えていたが、翌日あらためて真面目に見てみると、どう見てもその女性は鈴木京香さん」という記事を書いた。

テレビなどでタレントが出てきても、観ているほうは、そのタレントが本人であるかどうかなどとは疑いの余地もなく、無意識に出演しているのはそのタレント本人だと認識している。

ところが、全くの想定外の場所で有名人と遭遇すると、そういう概念が崩れてしまうことが多い(私だけかもしれないが)。

目の前にいる人が有名人にそっくりであっても、その人が有名人本人だとは信じない習性。

今回の、20年前の近代将棋に掲載されていた広告の例でいえば、

「このモデルの子は鈴木京香に似ているな」と思いながらも、

・鈴木京香が、対局時計の広告のモデルになっているなどとは、全く考えられない

・鈴木京香は、この頃デビューしていない

など、そういう直感的な先入観が

広告のモデル≠鈴木京香

と、初めから思わせていた。

こういう先入観は、決して人生のプラスにはならない。

[事例1]羽生名人に似た人

近代将棋掲載原稿より抜粋

2008年1月16日(水)

東京駅で大きなバッグを持った、羽生二冠そっくりな人とすれちがった。

その人のことを、とてもうらやましく思ったが、その晩ネットを見ていると、翌日から栃木県で王将戦第1局が開催されるとあった。

彼は本物の羽生二冠だったんだ!

[事例2]後藤久美子に似た人

1990年代初頭。池尻大橋の和洋折衷居酒屋で。

友人とカウンターで飲んでいたのだが、ふと後ろを振り向くと、ボックス席に後藤久美子の髪型、化粧、表情にそっくりな女の子がいた。

「ちょっと似ているからといって、あそこまで後藤久美子の真似する必要ないのにな」

と思っていたのだが、閉店間際に店主が

「今日は後藤久美子ちゃんが久々来てくれてさあ。さっき見てたよね」

本物だったのなら、もっと緊張感を持って真面目に見ていたのに…

[事例3]加藤一二三九段に似た人

5年くらい前の、近所の、とあるクリーニング店。

私が、そのクリーニング店に向かっていると、タクシーが停車して恰幅の良い男性が降りてクリーニング店へ入っていった。

タクシーは待たせてある。

店に入ると、その男性が、女性物のコートなどを出してクリーニング店のカウンターへ乗せている。

クリーニング店の女性とも会話をしている。

斜め後ろからしか見ることはできなかったが、髪形、体型、声、喋り方、斜め後ろから見た顔立ち、どれをとっても加藤一二三九段っぽかった。

春先だったので、家族の冬物を一気にもってきた感じだった。

「すっごく加藤一二三九段に似ているな」

そう思ったのだが、斜め後ろからなので、私も加藤一二三九段とは断定することはできなかった。

しばらくしてから、その恰幅の良い男性が、クリーニング店での用事が済んで、待たせていたタクシーに乗って帰っていった。

「今のお客様、将棋の先生ですよね?」

私の番になった時、クリーニング店の女性に聞いてみた。私も顔を知られている。

クリーニング店の女性は、浦辺粂子に似た雰囲気の、とても感じの良い人だ。

「えっ、加藤様のことですか? 加藤様はとても優しいお客様なんですよ」

「ああ、やっぱり… あの方は将棋の名人にもなった方なんですよ」

「えええぇえー、初めて聞きました。そんな凄い方なんですかー」

クリーニング店の女性に喜んでもらえたのは嬉しかったが、やっぱりあの恰幅の良い男性は、加藤一二三九段だったんだ。

もっと緊張感を持って真面目に見ていれば良かったのに…