勝新太郎の将棋

今日は、昨日の記事「座頭市地獄旅」の主人公、故・勝新太郎さんの将棋の話。

近代将棋1997年9月号、内藤國雄九段「新妙手探し」より。

(太字が内藤九段の文)

下の図は、内藤九段と勝新太郎さんの飛香落ち戦。

1手1秒の早さで銀に出てこられて困った。1一の香がいないから1四歩と受けることができない。ただこの将棋は勝さんが転んで10分たらずで終わってしまう。

もう一度同じ戦法できてもらい今度は最後までうまく指されて、その棋譜を新聞に掲載することにした。

photo (2)

勝新太郎さんの将棋は、我流だが腕は相当なものだったらしい。

たしかに1一に香がいないので棒銀が成立する。非常に理にかなった戦術だと思う。

内藤九段は、1970年代後半にフジテレビ系で放送されていたテレビドラマ「座頭市」に棋士役として出演したことがある。

勝さんはいつも豪快で酒豪で、そしてサービス精神に富んでいた。

こういうところは升田さんと同じで、私はご両人に共通した懐かしさ、親しみを感じずにはいられなかった。

 

飲んでいるとき、まわりには聞こえない声で語られた言葉が浮んでくる。

「私が飲まなかったり、早く引き上げたりすると、皆が寂しがると思うんでねえ」

豪快な酒豪振りにも周囲に対する心配りが潜んでいた。そして「自惚れるな!」と、ときどき自分に言い聞かせるんですよ、の言葉に胸を打たれた。

勝新太郎さんの飲みっぷりの豪快さは他の本で読んだことがある。

銀座の高級クラブ。勝新太郎さんが飲んでいると人が集まってくる。

勝さんは上機嫌。

「よしっ、みんな次の店へ行こう」

と言って、その店にいるお客さん全員を連れて河岸を変える。

次の店でも同じような展開。

二番目の店にいるお客さん全員も加えて、また次の店へ。

これが何店か続く。勘定は勝さん持ち。

飲んでいる最中の様子は、倉本聰さんのエッセイで描かれている。

このような雰囲気。

「うちに金魚を二尾飼っててな」

「片っ方が赤い出目金で、もう片っ方が真っ黒なランチュウだ。な? ○○ちゃん飲んでる?オイ、○○ちゃんに酒だ」

出目金がランチュウを食べてしまったらしい。

「出目金がランチュウを―逆だったかな?とにかく赤いのが黒いのをだ。ウン。気がついたときには前半がなくて、黒いやつの後半だけまだ残っていた。オイ△△ちゃん水割りがないじゃないか。いいいい、オレ作る。ねえさん水くれ。オレ作る。オレ作る。オッ、そっちもないじゃないか。みんな出せこっちに出せ。玉緒飲んでるか」

「それで一体どうしたんですか」

「うん、そうなんだ。そのうち最後まで、黒いのを全部、赤いのが食っちゃった。ところがだ。グラス出せオイ、そっちのグラス」

中村玉緒さんが見かねて口を出す。

「お話先に済ませはったら?」

「信じられるか?オイ、生き残った方の赤い出目金が、段々黒くなってきちゃった」

「黒く!」

「黒を食ったから黒くなったんだ。見たんだ本当に。いやぁ驚いた。おい酒あるか?飲んでるかそっち?」

抜粋だが、さすが脚本家の文章だけあって勝新太郎さんのオーラが活き活きと伝わってくる。

東京駅で「たまお。内藤さんだ」と大きな声がした。見ると勝さんと玉緒夫人がそこにいた。以前に同じ東京駅で似たようなことがあった。私の名前を呼ぶ声がするので振り向くと升田さんがいて、そのとなりに静尾夫人がにこやかに。心に残る二つの偶然。

豪放磊落、不摂生、そして人間味あふれたご両人にもう一つ共通点のあることに気がついた。それは共に天才の我がままを暖かく包容する最良の夫人に恵まれたことである。

また懐かしい人がこの世を旅立っていかれた。

近代将棋の内藤九段の文章は、1997年に勝新太郎さんが亡くなった直後に書かれている。