感想戦には、それぞれの棋士のスタイルがある。
青野照市九段「勝負の視点―研究と実戦の間」より
古くは木村義雄十四世名人が、勝負で負かし、感想戦でも負かすという、いわゆる二度負かすことで有名であった。
感想戦でもしっかり負かすことが相手に対する威圧感となり、次の対局にも影響するという勝負観だったのだろう。
大山康晴十五世名人は、「あんたの方が良かったんじゃないの」とやさしい声で言い、相手に次に勝てるんじゃないかと錯覚させたものである。
大山流は実戦がすべてで、感想や研究は理屈に過ぎないというところがあった。従って感想戦で負かさなくとも、実戦で徹底的に痛めれば十分という考えだったのだろう。
そして、中原誠永世十段、米長邦雄前名人あたりになると、また違ってくる。二人に共通して言えるのは、めったに自分のほうが悪かったと言わないことである。
相手がいい将棋を逃がしたと言っても、
「悪いとは思わなかった。いい勝負でしょう」
という具合に、感想戦を通じて将棋がいかに深い競技かを、相手に強調するような感じが私はするのだ。
そのかわり相手が途中から全然ダメだったと言えば、相手の勝負手を指摘し、これまた簡単にあきらめる程、将棋は浅くないと教えるようなことになる。木村名人同様、感想戦を通じて強さを再認識させるところは、なぜか似ているように思う。
その後の世代、谷川浩司王将から羽生善治竜王になると、また全然違うのである。
自分の読み筋、間違い等を平気で正直に話す。感想戦は研究の一部であり、それによって威圧感を与えようとかいう盤外戦術的なところはない。ただしその読み筋の公開によって、自然に相手が恐れてくれるならそれで良い、といった感じである。どれが正しいかということは言えないが、個性の違いは実に面白いものがある。
(中略)
昔は感想戦が長いので定評のある棋士が何人かいた。小堀清一九段、富沢幹雄八段、長谷部久雄八段あたりで、徹夜で感想戦をやり、次の日に対局の準備のために奨励会員がやってくると、ようやく終わるといった具合であった。
もっとも感想戦といっても、中盤の岐れあたりはともかく、研究が終盤戦になってくると、もう検討なのか実戦なのか分からない程、一つの変化を詰むまでやることが多かったように記憶している。
—–
升田幸三実力制第四代名人の感想戦は、比較的長かったという。
どのタイプなのかはわからないが、大山型以外の、木村型、中原・米長型、谷川・羽生型が全て含まれていたのではないだろうか。
(明日は、感想戦がとても好きな人の話)