羽生善治二冠(当時)が見た渡辺明竜王

将棋世界2005年3月号、「誕生!20歳の新竜王 渡辺明」より、羽生善治二冠(当時)の「大渋滞から抜け出した人」。

 今回の竜王戦で印象に残っているのは渡辺さんが初めての二日制、竜王戦という大舞台にも関わらず、終始、落ち着いて堂々と戦っていた点だ。

 前夜祭やテレビ中継や封じ手など普段の対局とは全く異なった環境なのだから、戸惑うほうが普通なのだが、自然体に振る舞っていて、自分の力を十分に発揮していたと思う。

 現代は情報化が進み、将棋が強くなる方法論も昔と比べて格段に進歩をした。

 だから、高速道路に乗るようにあるレベルまでは猛スピードで到達してしまう。

 しかし、そこからは同じような高いレベルの人達がたくさんいて、後ろからも新しい人がやって来て、中々抜け出す事が出来ない大渋滞が起こっているのではないか。

 渡辺新竜王は若い世代として初めてその渋滞から抜け出した人で、その原因を考えてみると量を質に変えたのではないか。つまり、大量にある情報の中から良質のものを選び出し、自分なりに消化して渋滞を抜ける道を発見したのでは。

 今後、この方法論が確立されるかどうか興味を持って注目している。

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羽生善治名人の高速道路論は、2006年に梅田望夫さんの著書『ウェブ進化論』で紹介されたことにより広く知られることとなったが、羽生名人自身が語ったり書いたものとして世の中に出たのはこの文章が初めてと思われる。

この直前に、梅田望夫さんが、”ただ実はこの「高速道路」の比喩は僕のオリジナルではなく、将棋の羽生善治さんに教わったことだった”としてCNET Japanの記事で高速道路論を紹介している。

インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞(CNET Japan 2004-12-06)

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意味合いはやや異なるが、若手が飛躍的に強くなったことを、1988年に武者野勝巳五段(当時)が高速道路の例えを使って語っている。

5月の千駄ヶ谷ののどかな朝

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アメリカでインターネットが商用化されたのが1988年で、日本では1994年頃とされている。

たしかに、私が初めてインターネットに触れたのは1994年のことだった(もちろん会社で)。

ブラウザは、はじめはMosaic、その後すぐにNetscapeとなった。

1995年に”将棋”で検索すると30件前後が出てきた。(現在は約1,710万件)

日本将棋連盟がホームページを立ち上げたのが1997年。

将棋倶楽部24が開始されたのが1998年。

携帯電話でメールが利用できるようになったのが1999年からで、自宅でインターネットを利用する人が多くなったのは、接続料金が安価になった2000年以降。

私が自宅でパソコンを使うようになったのも2001年から。

個人にとっての情報化が進みはじめたのが、1999年から2000年以降と考えられる。

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高速道路論について語る昨年の羽生善治名人→羽生善治「“学習の高速道路”の渋滞を、経験を活かして抜け出していく」(cakes編集部 2015年7月9日)