郷田真隆六段(当時)「将棋は、神様でもコンピュータでもなく、人間が楽しむために生まれたものなのだから」

将棋世界1997年10月号、郷田真隆六段(当時)の「長考をめぐる考察」より。

近代将棋1996年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

 1年間本稿にお付き合い頂き有難うございました。

 分かりにくい面が多々あったかと思いますが、読者の皆さんに何らかのご参考になれば幸いです。

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 一つの形に絞っても、次から次に難解な変化が生まれる将棋は、やはり本当に奥の深いゲームです。

 本稿の性質上、将棋を理論中心に述べてきましたが、それとは逆に、本稿を書きながら一番感じたことは、いかに自分が理論以外の部分で将棋を捉えているかということです。

 私はある時期理論に傾倒していて、それ自体は良い事ですが時々、そのことに頼る様な形で将棋を指してしまうことがありました。

 それは一つのスタイルではあっても、何か自然ではない気がするのです。

 今は、理論や知識やそういったことよりももっと、自由に将棋を指したいと思うのです。

 将棋は、神様でもコンピュータでもなく、人間が楽しむために生まれたものなのだから―。

 最後に、この機会を与えて下さった大崎編集長をはじめ、編集部の皆さんに感謝します。有難うございました。

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将棋世界1997年10月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。

8月18日(月)

 郷田さんが編集部に。「私はもう理論を捨てました。理論は意味がない」。1年間、将世の講座を書いてもらって、そして得た一つの結論らしい。この日の将棋も加藤九段に対して三間飛車で序盤から殆ど時間を使わずに戦っている。理論を捨てた郷田将棋というのも魅力がある。郷田さんにとってよかったのか悪かったのか難しいところだが、1年間本当に有難うございました。

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「将棋は、神様でもコンピュータでもなく、人間が楽しむために生まれたものなのだから」

これは、涙が出てしまいそうになるほどの名言。

郷田真隆九段らしさも溢れている。

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「私はもう理論を捨てました。理論は意味がない」

理論を知り尽くしているからこそ、このような思いに至ることができるのだと思う。

ちなみに、先崎学六段(当時)は、郷田六段(当時)の酔ったときの口癖は「あ-、意味ない意味ない」であると書いている。

1997年、郷田真隆六段

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「長考をめぐる考察」の第1回→郷田真隆六段(当時)「長考をめぐる考察」