升田幸三実力制第4代名人による、攻撃的阪田流向飛車。
1970年度A級順位戦、二上達也八段(先)-升田幸三九段戦より。
二上八段の▲3八銀は筋違い角+阪田流を警戒した手。
升田九段は早囲いにして△2四歩から開戦。
ここから升田九段の攻撃は止らない。
以下、▲2四同歩△同金▲4七銀△2五金▲3八金△2六金。
△2五金と出る手で△2五歩と落ち着く手もあるが、後々の金の扱いが難しくなるということで、升田九段の金はどんどん前に出て行く。
ここから、▲2七歩△2五金▲3七桂△1六歩。
とにかく金を捌くという方針。
▲1六同歩△同金!
凄まじい攻撃だ。金香交換から2筋突破を狙う。
以下、▲6六角△3三角▲同角成△同銀▲1六香△同香▲2九飛△1八香成▲7九飛△1六歩。
第一弾の攻撃は成功した形。
しかし、この後の二上八段の反撃が巧妙で、勝負は二上八段が勝つ。
この対局の日、升田九段は風邪をひいていて体調は万全ではなかったという。
それにしても、見る人が喜ぶ将棋だ。
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この将棋は升田九段が将棋世界に自戦記を書いている。
タイトルは「曇る日の阪田流」。
当時の将棋世界では、1年間の記事について読者の人気投票があった。
1971年の記事で最も人気が高かったのが、升田九段の1971年名人戦第3局(歴史的名手△3五銀が指された升田式石田流の一局)の自戦記「後手不利の定説に挑む」、そして2番目が「曇る日の阪田流」だった。
升田人気、振飛車人気が最高潮に達していた時代だった。
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数年前の将棋ペンクラブ大賞最終選考会の打ち上げの時、隣の席だった二上達也名誉会長にこの将棋のことを聞いてみた。
「僕って自分の将棋は覚えてないからなあ。そんな将棋があったんだねえ。でも僕は升田さんにはずいぶん勝ったんだよ」
二上名誉会長は大山康晴十五世名人には45勝116敗と大きく負け越しているが、升田幸三実力制第4代名人とは29勝23敗1持将棋で勝ち越している。
すごい棋士と話しているんだということを痛切に感じた。
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当時の順位戦観戦記の最終譜には、木村義雄十四世名人の講評が載っていた。
木村名人は△1六歩からの金を犠牲にした升田九段の攻撃を無理攻めと評した。
升田九段は無理攻めとは思っていない。