佐藤康光九段を語った名文

ダンボール箱から出てきた本の中にはNHK将棋講座1998年8月号もあった。

ちょうど佐藤康光名人誕生の時だった。

そこには佐藤康光九段を語った最高の文章が載っていた。

河口俊彦七段「ザ・棋界」より抜粋。

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佐藤は典型的な秀才であり、エリート棋士である。今度、名人になった機会に棋歴を調べたら、竜王になったきりだったのが意外だった。平成二年、五段のとき王位戦の挑戦者になったくらいだから、タイトルを三つくらい取っていると思っていた。しかし竜王になり、名人になったのだから立派なキャリアである。そして、四段になってからの佐藤を思い浮かべてみると、着実に進歩している。ただ本質的なものは変わっていない。それを示すいい文章があるので少し長いが引用しよう。

「佐藤は、級位時代を故郷の関西で過ごした。関東の奨励会に移って、最初の彼の感想。

東京の人は、よく遊ぶなあ。

中略。

移籍当初、いつものように例会を連勝、遅くまで残っている他の対局を、彼は見つめていた。ある一局の、二人の無口な少年の感想戦を聞いているうち、自分と共通する何かを、佐藤は、その中に気づいてしまう。この二人は手ごわいぞ、と彼は思った。羽生と森内だった。

佐藤は外苑前の国学院高に進学する。連盟のそばということで学校帰りに勉強できると、考えたからだ。が、あるとき、終電まで順位戦の感想を聞いてからの帰宅途中、交番に呼ばれる出来事があって以来、彼は制服のままでは、不自由だと思いはじめた。

(確かに真夜中、制服と学生カバンを持ってよく歩いていれば、いつかは、そういう体験をするだろう)

そこで佐藤は、授業を終えるとまず、自宅に帰り、私服に着替えてから連盟に現れるようになった。

ひとことで言うが、これは大変な労力だった。決して自宅も近い訳でないのだ。

しかも、感想戦に熱中して終電を逃がすと、彼は仲間と徹夜で将棋を指し、一睡もしないで始発で自宅に帰り、制服にすぐ着替えて朝食もとらず即登校という、常識を超えた生活になった。

この頑張りの日程が、知る人ぞ知る、佐藤伝説である。

もし、同じ立場で、羽生だったら、あらかじめ着替えを用意して、連盟で着替えるだろう。森内だったら、そんな運の悪いことは気にせず、やはり制服でずっと通すに違いない。先崎だったら、最初から学校には行くまい。」

これは十年前の新人王戦の観戦記の第四譜で、書いたのは島朗八段。私には忘れられない名文で、第一回将棋ペンクラブ大賞を受賞した。

佐藤を語ってこれ以上の文章はない。今もこのとおりなのである。

(以下略)

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自分ならどうするか考えてみた。

私は森内パターンかもしれない。