一昨日の続きで、近代将棋2006年2月号、団鬼六さんの「鬼六面白談義 不心得者」より。
その翌日、私は山崎エリとホテルのロビーで待ち合わせ、平泉へ観光に出発することになったが、その前に一ノ関の観光スポットになっている猊鼻渓の川下りを楽しんでみようということになって中野編集長と弦巻カメラマンを誘ったが、中野は控室にこもって将棋の行く末を見守るというし、弦巻カメラマンは両対局者の昼の休息、休憩時間までに宿に帰れるならば、と承諾した。仕事で来ているのだから当然のことだと思えるが、対局が終了するのは夕食が終わる頃になるのだろう。中野編集長はそれまでずっと控室のテレビモニターを見ながら将棋の進行を同行の棋士達の解説を聞きながら見とどけるつもりなのだ。どちらかが勝って、どちらかが負けるのだから、あとで棋譜を見ながらプロ棋士の解説を聞けばいいではないかと思うのだが、そうはいかぬものらしい。控室の中でプロ棋士と一緒にああでもない、こうでもないと、対局者の指しぶりを見て、ワイワイ騒いでいる雰囲気が好きで好きでたまらないのだろう。こういうのも一種の狂気に似たもので、つまりは将棋馬鹿なのである。
せっかく一ノ関まで来たのだから、といっても、猊鼻渓見物や中尊寺観光など見向こうとはしないのだ。
そういえば、このタイトル戦に同行した棋士も新聞記者も二日目の試合が終了して帰る段になっても一人も一ノ関の風光を見て廻ろうとする者はなく、そそくさと東京へ真っ直ぐに帰って行くのである。不心得者は私と私の同行した女性だけということになる。
(中略)
十二世紀に奥州藤原氏が築いた古都を一度は見ておきたいという山崎エリの希望を叶えさせてやるためであったが、タクシーの中で彼女は私にいった。
「中野さんも弦巻さんもここまで来ながら平泉を見に行きたいという気持ちは全くないんですね。歴史は嫌いなのですか」
「あの連中は、歴史より将棋の方が大事なんだよ」
つづく
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団鬼六さんに「将棋馬鹿」と書かれた中野隆義さん(このブログのコメント欄のきたろうさん)は、最大級の賛辞を団鬼六さんから貰ったようなものだ。