郷田真隆二段(当時)の自戦記、スマイルの閉店など

現在も貫かれている郷田少年の意志。

近代将棋2006年2月号、スカ太郎さんの「スカタロの関東オモシロ日記」より。

さてそんな風に昭和58年ごろからの奨励会の記事を読んでいたところ、将棋マガジン1986年4月号に、郷田真隆二段の自戦記があった。

「僕は序盤はあまりうまくないけれど、序盤の型を多く知ろうとは思わない。何故なら、序盤は自分の意志が表現できるところだと思うからです。自分の意志が表現できるところならば、僕は自分で考えた、自分の序盤をしていきたい」

このころから郷田将棋の骨格となるべき部分はしっかりと出来上がっていたのだなー、と思う。自戦記の最後の方には「僕の目標は名人になることと、もう一つ升田先生や米長先生のように、将棋史にのこる新手を多く指すことです」とあった。

実はこのところ、立て続けに郷田真隆九段の将棋を観戦する機会にめぐまれたのだが、郷田少年のインタビュー記事を読んだオイラは「うんうん、ちゃんとそうなってますよ~」と妙にニンマリしてしまったのだった。

(以下略)

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郷田真隆九段の魅力のひとつは「男らしさ」だ。

郷田九段に将棋や「男らしさ」などを教えたのがお父さんの克己さん。

克己さんは、2007年2月1日、郷田九段が森内俊之名人への挑戦を決めたA級順位戦の対局があった日に亡くなった。

(毎日新聞の記事)

阿部八段との将棋は2日午前0時15分に終了。対局後の検討が終わった1時半過ぎ、郷田九段は「家族へ至急、連絡して下さい」とのメモを日本将棋連盟の職員から受け取った。事務室から電話すると、ぼうぜんとした表情でいすに座り込んだ。 それから、報道陣が喜びの声を聞こうと待つ別室へ。こわばった顔のまま、「今日、挑戦を決められるとは思っていませんでした」と話したあと、「実はおやじが亡くなって。病状が悪かったので、ある程度は覚悟していましたが……」と、つい先ほど父の死を知ったことを明かした。

克己さんは、升田幸三と長島茂雄に心酔していた。

将棋が大好きで、子供時代の郷田九段と家で将棋を指したり、一緒に道場へ行ったりしていたという。当時の道場関係者は郷田少年を「マーくん」と呼んで可愛がっていた。

ネットで調べてみると、克己さんは2003年のペアマッチ将棋大会にB級で出場している(ペアの大嶋いつこさんは湯川恵子さんの友達)。

将棋ペンクラブ会員でもあった。

湯川恵子さんの話によると、克己さんがよく通っていた店が池袋の「スマイル」。

「スマイル」は将棋を指せる酒場で、この12月10日に閉店することになっている。

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スマイルのママは仁科博子さん。

フェアリープリンセス(女性将棋同好会)の創始者であり、自らも将棋を指すアマ女流強豪で普及指導員でもある。

私もスマイルには3回ほど行ったことがあるが、ママに将棋を勝ったことは一度もなかったと思う。

仁科さんは盤寿を越して数年経つ。

閉店と聞いた古今の常連客が次々と店に来て、連日満員になっているという。