先週のブログで、郷田真隆四段の1990年、「点のある・ない論争」について紹介した。
この時は、郷田四段が優勢に事を進めた。
そして1997年、飲み屋で別の論争が巻き起こった。
今度の郷田六段の運命やいかに。
将棋世界1997年8月号、先崎学六段の「先崎学の気楽にいこう」より。
酒というのは、人の心を大きくさせるのに絶好の薬である。その典型ともいえる事件がおこった。
ことは単純である。滝団長(誠一郎七段)以下若手数名がかなり気持ち良く飲んでいる日のこと。ふと滝さんが、ボーリングでは、まだまだ君達には負けない、みたいなことをいった。このなにげない発言に郷田が咬みついたのである。
「そんなことはないです。滝先生は、若手をナメています」
「一応私もボーリングだけはゆずれないんで―」
「いや僕だって自信あります」
最初のうちは両者穏やかだったが、郷田があまりに譲らないので、そのうち言葉が激しくなっていった。
滝さんはボーリング全盛時代に青春をおくったらしく、プロと賭けボーリングをしていたというのが自慢なのである。
「君は自分の言葉に責任を持てるのかい」
「はい、何度でもいいます。滝先生なんかに負けるわけありません」
「僕は昔279出したことがあるんだと、分かってるのかい」
「あ-、意味ない意味ない(これは酔ったときの郷田の口癖である)人間昔のことをいいだしたら終わりです」
「はあ、いってくれるねえ」
滝さんが鋭い咳払いとともに荒々しくいった。もうお互いに引っ込みがつかない。郷田はさらにいう。
「だいたい年が二十も上の人間に運動で負けるわけがない。滝先生のことは好きで尊敬してますけど、今だけはいいます。こんなオッサンには負けません」
中田功と僕が必死に取りなしたが、頑固な郷田が引くわけもない。
「世界は常に若い奴が勝つんです。それが自然の摂理です。先崎もこんなオッサンに馬鹿にされて逃げるのか」
逃げるもなにもこちらはボーリングはからきしなのである。
小一時間口論した後、滝さんがいった。
「そんなにいうならやるか、今から新宿のミラノボウルへ行こう」
両方とも腰が浮いている。郷田はいかに酔っていても平気だろうが、滝さんは齢も齢だしいくらなんでも心配である。
結局、その場の人間が預かって、数日後に何故か京都で決闘ということになった。郷田、中田、先崎が京都へ行く用があって、滝さんがわざわざ来るという。
その後は、又、何もなかったように飲んで、唄った。
滝さんは、本当に、わざわざその用だけで京都に奥方同伴で現れたが、当然ながら、その時は両者素面で、なかなか意気があがらず、恥ずかしそうだった。
結局決闘は滝さんが実力通り勝って、郷田が生意気いって済みませんと謝って一同大笑いとなった。
それにしても、と思う。郷田の、あの口調、態度、雰囲気には、勝ちまくる者だけが持つ勢いがあった。
僕はずっと彼をなだめながら、それを眩しく感じていたのだった。
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現在の郷田九段はこのようなことはやらないと思うが、ここに描かれている郷田六段は当時のそのままの郷田六段だ。先崎六段の名文だと思う。
滝誠一郎七段は、若手棋士の兄貴分的存在で、連盟常務理事も務めていた。
飄々とした雰囲気と、誰からも好かれる愛嬌のある雰囲気と憎めない雰囲気。
20世紀の古き良き時代の典型的な出来事だったと言えるのかもしれない。