先崎学五段(当時)「え、そんな声出してませんよ。だってテレビじゃないですか」

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

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羽生善治五冠(当時)が語る、各トップ棋士の印象」についてのコメント。

〔羽生善治五冠(当時)が先崎学五段(当時)の印象を、「イメージは派手ですが、意外にアベレージヒッターだったりする。形にもこだわる。思いきりのいいところが長所)」と語っていたことに対して〕

私めも、ホントにそう思います。
常人とは思えない言動に惑わされがちですが、先ちゃんの本質は違うところにあるのです。と、彼とマージャンを何度か打っているうちに、そう思うようになりました。
きっと、先崎流は自分のそういうところがバレるのがイヤというか照れくさくて、わざとふさげていたのでありましょう。
思い切りのよいところといえば、先崎流がNHK杯戦で優勝したとき、私めは収録現場に居合わせておりまして、大敵南芳一流に対した先崎流は中盤の勝負どころで「はあーーーあああっ」という腹の底から搾り出すような気合もろとも、ひと目そんなムチャなと思える飛車切を慣行したのでした。局後「飛車切ったときの掛け声は凄かったですね」と言いましたら。「え、そんな声出してませんよ。だってテレビじゃないですか」と返され、凄いのは声じゃなくて、その思い切りと集中力だったのかと感心したことがありました。

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将棋会館で行われる対局をマラソンとすると、持ち時間の短いNHK杯戦は100m競争。

短時間ではあるが対局中ずっと深く集中しているわけで、ほとんどの棋士は、言葉を発していたとしても、どのような表情をしていたとしても、全ては無意識の中。

私もNHK杯戦の観戦で、はじめの頃は「終盤、上を見上げて非常に厳しい表情をされていましたが、あの時の形勢判断は?」のような質問をしていたことがあったが、そもそも対局中の棋士は盤上以外のことは何も覚えていないということを二度目で知り(二例とも全く覚えていないということだった)、それ以来、対局中の表情や発せられた言葉についての質問はしないようになった。

表情と形勢が連動しないところが将棋の難しいところだ。