加藤一二三九段のフェイント

20世紀にtwitterがあったなら、女性将棋ファンが、「ひふみん orz」や「ひふみんったら意地悪www」とtweetしていただろう。

近代将棋1999年11月号、加藤一二三九段の連載「一二三の大局観」より。

昭和43年、私は絶好調であった。私の長女が4月から、東京の九段の白百合幼稚園に通うことになり、私は対局の日に時々幼稚園に送って行った。

長女を幼稚園に送ってから、飯田橋の駅まで行き、そこから千駄ヶ谷まで電車でくるのは大変なことではなかった。

対局開始が十時だったので、時間的にも丁度よかった。

私は将棋会館に着いてから、会館建設時の寄附者名を見ながら、感謝しながら、はげまされたような気持ちで、呼吸を整えた。

(中略)

長女を対局のときに幼稚園に送って行くことで気分が一新したのか、私はずいぶん勝った。

そうして、10月に十段戦リーグで7勝3敗で挑戦者になった。

大山十段との七番勝負は、はじめに私が二連敗し、第3局で早指しにきりかえた私が勝ち、次の第4局は一手に7時間も考えて好手を発見して、私が勝った。

二日制の将棋なので、私は一日目の夜から、二日目盤の前に座って長考し、合計7時間目に好手がひらめいて、それで勝ちが決まった。

7時間も長考しなければならないというのは、めったにないことだし、普通はそんなに根をつめて考えないものだが、このときは文字通り7時間あれこれと考えにふけった。

一つは決戦に突入した局面で指しかけになったので、いくらでも考えることが出来た。タイトル戦は半分ぐらいは、駒と駒とぶつからないで、第一日目を終えるもので、そんなときは長考するメリットはそれほどない。

7時間長考しても好手がなかったのではなく、それまで全く気づかなかった好手を発見出来たのだから、幸運だったのだろう。私はこれに勝って2勝2敗とし、十段位獲得の希望が高まった。

(中略)

十段戦の決勝戦の前日に、私はアウグスチヌスの本を読んだのだが、1月6,7日の対局は私が勝って十段になった。

このタイトル戦はいろいろと思い出があって、私の代表的な将棋となっている。

ここまで読むと、当然この先は7時間以上長考した十段戦第4局の解説になって、7時間以上長考して見つけた好手の話題が展開される、と、ほどんどの人は期待する。

ところが加藤一二三九段は、はるかに時空を超越していた。

(前引用文に続く)

時がたって、私は昭和47年の10月23日に、下井草教会にお祈りに行った。米長邦雄永世棋聖(当時八段)との順位戦を前にして、私はふと思い立って洗礼を受けた下井草教会に行った。そのときの将棋がこれから述べるものである。

お任せコースだけの料理店で、目の前の鉄板で分厚い霜降りサーロインステーキがニンニクとともに焼かれている。当然、ステーキが出てくると思いワクワクしながら待っている。ところが出てきたのは懐石料理…

というような、すごい飛躍のしかただ。

—–

「一二三の大局観」の特徴は、加藤一二三九段が思う存分、キリスト教に対する思いを記事中3~4割を使って述べていたこと。

一例を挙げると、次の通り。

私は四ッ谷の「ふくでん」がはじめての対局場所であったので、前日に「ふくでん」を見に行った。途中の電車の中で、私は聖アウグスチヌスの「信心生活」を読み、はげまされたような気持ちになった。この本は洗礼のお祝いに、マンテガッツアー神父が妻に下さったものである。直接勝負に関するものが書かれてるわけではないが、気持ちの張り詰めていた私には、大きな力を得たように感じた。

聖アウグスチヌスは、カトリック教会の聖人だが、人類が生んだ偉大な思想家と言われて、大学入試でも出題される歴史上の人物である。私も三女が大学を受けるときに、過去問を見ていて、北アフリカのヒッポの司教アウグスチヌスが出てきたので驚いた。

世界史になるのだろうが、加藤一二三九段が過去の入試問題をチェックしていたというのが新鮮な驚きだ。