写実派の将棋と印象派の将棋

棋士の棋風を絵画の画風に置き換えたら、という話。

近代将棋2003年9月号、団鬼六さんの「鬼六面白談義」より。

 待合・千代田で近代将棋の新しいA級順位表を見たのだが、新たに久保利明と鈴木大介が加わった。めでたいことである。二人とも奨励会時代より知っている間柄だ。

 私が知った時の彼らは十七か十八の頃だったと思うが、今では両人とも結婚してA級の座に坐ったのだから月日の経つ早さを今更ながら思い知らされる。

 もう、十二・三年も前になるのだろうか、横浜の私の家に遊びに来た鈴木大介と行方尚史、いずれも奨励会の三段だったが、私が懸賞金を出して二人に対局させたことがよくあった。勝ったり負けたりをくり返していたが行方のほうが勝率は多少よかったように思う。

 ところが或る日、アマ強豪の小池重明が遊びに来たのでこの若い二人を戦わせてみると、二人とも小池に負けてしまったので私は怒ったことがある。その時、小池のいった言葉が何とも憎たらしかった。

「いやあ、お二人ともプロの卵ですから凄く強い。もし、この将棋に団先生が懸賞金を出してくれなかったら、恐らく僕が負けていたでしょう」

 久保利明は当時、大阪に住んでいて私がアマプロ対抗戦を企画して奨励会員を連れ大阪へ遠征した時、彼は地元で合流してアマ軍と戦ったのだが彼は十六歳頃だった。久保と行方だけが勝ってあと全部、奨励会側が負けるという珍事もあったが打ち上げのとき、久保がさも旨そうに酒を飲むので酒が好きか、と聞くと、いえ、子供の頃、日本酒を飲みすぎて救急車で病院へ運ばれたことがありますから以後、飲み過ぎないよう気をつけています、といった。十六歳の少年が子供の頃というから幾つの時か、と聞くと三歳になったときです、というので皆んな大笑い。幼児の時、いたずらで飲んで救急車で病院に運び込まれたらしい。

 行方の将棋は写実派であるが、鈴木の将棋は印象派であると見ていたが、森内俊之、佐藤康光のような写実派の将棋には羽生名人は強いが、鈴木、久保のような印象派の将棋には気をつけられたい。

 やがて、この二人、名人戦の檜舞台に登場する日もあると思われる。もっとも今の羽生名人の将棋は写実から印象を経過して現代アートの域に達しているからまだあの二人の遠く及ばないところになると思われるが、(以下略)

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写実派は、現実を空想によらず、ありのままに捉えようとする美術上の主張のことで、人物や物を正確に描く。いわゆるリアリズムに通じる。

写実派の主な画家は、ミレー(落穂拾い晩鐘など)、クールベ(オルナンの埋葬フラジェの樫の木など)など。

印象派は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いており、写実主義の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性には乏しい。それまでの絵画と比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる。荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴。

印象派の主な画家は、ドガ(舞台の踊り子など)、ルノアール(陽を浴びる裸婦など)、セザンヌ(パイプの男など)、ゴーギャン(タヒチの女たちなど)など。

さて、団鬼六さんの写実派の将棋と印象派の将棋の分類を、言葉にして表すとどうなるのだろう。

「序盤は苦手だが圧倒的な中・終盤力で勝つ」、「居飛車のことはわからないが振飛車なら誰にも負けない」、「良い手よりも、自分が指したい手を指したい」、このようなタイプが印象派の棋士といえる。

それに対して写実派は、ソツのない論理的な将棋、オールラウンド対応型、正統派居飛車党などか。究極の写実派はコンピュータ将棋になるのかもしれない。

そういう意味で言うと、故・花村元司九段は明らかな印象派だ。

升田幸三実力制第四代名人も主題を強調したという点で印象派。

戦法にこだわりを持った、振飛車名人の大野源一九段、腰掛銀の小堀清一九段なども印象派。久保利明二冠や藤井猛九段もこのタイプに入る。

自分らしい手を指すことにこだわりを持つ郷田真隆九段も、本籍は印象派。

それにしても、将棋におけるこの分類は難しい。

団鬼六さんの感性の世界だ。

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これがプロレスになるともっとわかりやすくなるのだと思う。

ストロングスタイルのベビーフェイスレスラーが写実派、覆面レスラーや悪役レスラーや誰にも真似のできない必殺技を持つレスラーが印象派。

印象派レスラーの古典的代表例としては、

魔王 ザ・デストロイヤー(四の字固め)

鉄の爪 フリッツ・フォン・エリック(アイアンクロー)

銀髪鬼 フレッド・ブラッシー(噛み付き)

呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャー(地獄突き)

狂犬 キラー・バディ・オースチン(パイルドライバー)

生傷男 ディック・ザ・ブルーザー(アトミックボムザウェー)

アラビアの怪人 ザ・シーク(キャメルクラッチ)

など。

ジャイアント馬場時代の全日本プロレスが印象派で、アントニオ猪木時代の新日本プロレスが写実派。

というか、K1が写実派でプロレスが印象派というのが正しいのかもしれない。