久保利明二冠の師匠への恩返し

本当の意味での、師匠への恩返し。

近代将棋2003年9月号、故・池崎和記さんの「カズキの関西つれづれ日記」より。

6月某日

 シーサイドホテル舞子ビラ神戸で「久保利明八段昇段祝賀会」。

 久保さんは東京に住んでいるが、もともとは関西出身の棋士だ。「タイトルを取ったら関西に帰る」と言い残して郷里(兵庫県加古川市)を離れたのは9年前、五段のときで、その後、棋王戦、王座戦とタイトル戦で2回挑戦者になり、順位戦でも今年、A級に入ったから、「ポスト羽生世代」の最右翼といっていい。

 その久保さんの昇級昇段を祝おうと地元ファンを中心に約200人が集まった。裏方として動いたのは師匠の淡路九段で、会場の確保、案内状の作成、看板の発注、パンフの作成、スライド上映の手配、景品の用意…と、ほとんど全部、一人でやった。

 スライドについては事前に淡路さんから僕に相談があった。「久保君の古い写真を祝賀会で見せたい。ご両親からプリント写真を預かってるんで、それをスライド用のフィルムにしたいんだけど…」と。撮影自体はそれほど難しいことではない。でも接写用のレンズや三脚は必要だし、またカメラのことをよく知らない人が接写をやるのは大変だから、僕は「淡路さんが自分でやるよりカメラ屋さんに頼んだほうが早いですよ」と言ったのだった。

 こういうことでもお金がかかる。スライド上映だと映写機も借りないといけないからなおのことだ。要するにホテルでパーティーをやるのは大変なことで、お金はもちろんだが、手間も時間もかかるのである。

 僕は昔、広告制作会社にいてイベントの企画もやったから淡路さんの苦労はよくわかる。「僕はこれまで祝賀会をされるほうだったけど、今回の仕事で主催者の方のご苦労を初めて知りましたよ」と淡路さんは話していた。

 さて、祝賀会である。乾杯の音頭を取ったのは内藤九段で、こんなあいさつをした。

「淡路君は非常に神経細やかな面があります。例えば久保君が相当大きな対局を寝過ごして不戦敗したことがありまして(池崎注:9年前の王位戦の予選決勝のこと)、そのときに淡路君がほうぼうに頭下げて回ったんです。まず連盟の理事会、主催新聞社、さらに対局相手と…。こういう師匠は他にはいません。で、最近、久保君とお酒を飲む機会があったので、”淡路君に感謝せなあかんよ。君のこと、よく思うてるよ”と言いましたら、”僕は師匠に十分感謝しております”と。この言い方がうれしくて、その日、私は焼酎を飲みすぎました」(笑)

「将棋界はありがたいところで、才能がある程度あれば努力は必ず報われます。ただ才能と努力だけではAクラス入りがせいぜいでありまして、それ以上伸びようと思えば運を味方にしないといけない。久保君は性格が大らかで素直です。将棋の神様に好かれると思うので、才能、努力、強運…この三拍子揃って、近い将来、ビッグタイトルを取れるんではないか。そういうふうに私は思うんです」

 淡路さんのお礼の言葉もなかなか良かった。

「久保君がうちの道場(神戸将棋センター)に来たのは5歳のときです。彼はアマチュアのファンの中で強くなりました。当時、久保は本当にちっちゃくて、電車の切符も(手が届かず)自分では買えなかったです。ファンに支えられてきたので、自分一人で強くなったとは思わないでほしい」

「今回のA級昇級については、私は本人以上にうれしいです。将棋界では弟子が師匠に勝ったら”恩返し”といいますが、あれはおかしいですね。師匠が負かされた相手を、弟子が負かすのが恩返しです」(場内爆笑)

 最後の言葉は、それくらいの気持ちで頑張ってくれという弟子へのエールだろう。楽しい企画がいろいろあったが、僕は幸運にもビンゴゲームで素敵な景品をゲットした。直筆色紙、記念扇子、サイン入り本の3点セット。

 この日、東京から大矢順正さんと加藤久康さん(スカタロー)が来ていた。大矢さんはマイカーで、スカさんはバスで、というからすごい。スカさんのバスはもちろん経費節約のためだが、彼は早く着きすぎたため、ふらふらと三宮のパチンコ屋に入り、あっという間に3万円スッたそうだ。

 こんなとき、関西人の口からノータイムで出てくる言葉がある。で、僕は言った。「アホちゃうか!」

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内藤九段は見事に現在の姿を予言していた。

淡路九段のお礼の言葉も絶妙。

久保二冠は、二冠を防衛して恩返しを更に深めた。