車の中の感想戦

二人だけの世界。

NHK将棋講座2006年7月号、故・池崎和記さんの「棋界ほっとニュース」より。

 藤井猛九段が羽生善治選手権者に挑戦していた朝日オープン将棋選手権五番勝負が決着した。3-1で羽生が防衛。これで羽生は3連覇である。

(中略)

 僕は大阪で第2局を観戦した。対局場は西天満の料亭「芝苑」。

(中略)

 終わってみると羽生完勝で、手数も63手と短かった。

 局後、2人は同じ車に乗って、対局場から約2キロ離れたところにあるリーガロイヤルホテルの大盤解説場に向かった。ファンに顔見せするためだ。

 最初の予定では別々の車で行くことになっていた。両対局者が同乗するのは味が悪いからだ。だから車は2台手配してあり、僕は事前に「羽生さんか藤井さんの、どちらかの車に乗って一緒に行ってください」といわれていた。

 そうならなかったのは、藤井が「車の中で感想戦をしたいのですが・・・」といい、羽生がそれを快諾したからだ。こうして2人は同じ車で移動することになった。かなり珍しいことなので、このエピソードは新聞の観戦記でも紹介したが、ここではもう少し詳しく書いておこう。

 2人は後部席に並び、僕は助手席に乗り込んだ。感想戦はすぐに始まったが僕には2人が何をいっているかわからない。背後から聞こえてくるのは指し手の譜号だけで、それが1手1秒くらいの速さで延々と続くのだ。まるで宇宙人の会話を聞いているようだった。大盤解説場に着いたのは8分後。その間、2人は休むことなく感想を続けていた。帰りもまったく同様だ。完全に2人だけの世界。会話の中身はわからないのに僕は妙な感動を覚えた。

 対局場に戻って、解説の阿部隆八段にこの話をしたら「仲がいいんでしょうね」といった。

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「羽生さんか藤井さんの、どちらかの車に乗って一緒に行ってください」と言われたら、観戦記者は一瞬かなり迷うのではないかと思う。

行きと帰り、場合の数としては4通りあるが、実質的には2通り。

行きは勝者と、帰りは敗者と、が最も普通だと思うが、その逆も大いにありそうだ。

ところで、阿部隆八段が車中で感想戦をやったなら、かなり面白い、初めて聞いた運転手さんがビックリするような会話になるのだろうと思う。