東海の鬼といわれて(中篇)

「東海の鬼-花村元司九段棋魂永遠記-」より、将棋ジャーナル1983年1月号、湯川博士さんの「東海の鬼といわれて」より。

棋楽と棋魂

「アマとプロの違いは、棋楽と棋魂だね。素人は楽しみであり道楽だ。玄人は一手一手に魂を入れて指す。これは魂の入った方が強いわな。悪くても、魂の入っている方は、駒が生きているから、いつかは息を吹き返して逆転する」

 プロのバクチ打ちは、一投一打、血のにじむような、まさに魂を打ち込むバクチをするそうだ。一方、お客さんの方は、勝った負けたで、喜んだり怒ったりのバクチ。しかもプロは、」五分寺(一ゲームにつき掛け金の5%)を取るから、絶対に勝つ。どのくらい勝つかというと、もし徹夜で賭場を開くと、寺銭と胴元の勝ちとで、全掛け金の半分くらい取るという。一晩一億の金が動けば五千万はプロに入る訳だ。

「公営ギャンブル(競輪・競馬・競艇)だって、国が二割五分(売り上げの25%)の寺銭を取るんだから絶対に勝てませんよ。だから道楽のつもりでやるんですよ。まあ一番いいのは、月収の一割くらいのおこづかいでやることかな。麻雀でも将棋でも、賭けるんなら、こんな程度が一番罪がないね」

 どうやらカモになるタイプは、分相応をわきまえず、しかも『棋楽』な人ということになりそうだ。

「そうねえ、アタシのオヤジもバクチが好きだったけど、棋楽の方で取られてばっかり。でも兄貴は棋魂の方で、本職になっちゃった。名古屋の某会の代貸やっとってねェ、それでも軟派の方だったから、六十何歳かまで長生きしたよ」

 ヤクザの軟派は、智恵を使ってさばいていく人のこと。硬派は暴力を使う人のこと。

「アタシ自身も昭和19年には代貸をやりましてネ。将棋のプロになれたからいいようなもののもしバクチ打ちやっとったら、まず生きてないね。というのもあのままならたぶん、頭領になっていたろうから狙われるしね。同業の者やら警察にね。消されるか懲役かとても無傷で今日までおれませんよ」

花村少年は小学生時代、一年から六年まで全校でダントツの一番だそうな。秀才少年である。その上、父と兄がバクチ好きである。素質と血筋に恵まれた、バクチ界のサラブレッドのような青年時代だったであろう。

「ヤクザでも、博徒はあまり賛成できないけど、テキ屋は世の中に貢献していると思う。縁日やお祭りに、彼らが店を出してくれるから活気が生まれて、面白くなる。あれが、出店なしだったら、世の中ずい分つまらなくなるよ」

 花村さんの話は、生活人の素直な感覚が主体なので、とてもいい気持ちで聞いていられる。とかく、借り物の理屈で自分を飾る嫌味な手合いが多い昨今、うれしい貴重な人である。

 プロ棋士は、自分の芸を売る商売である。

 自分に芸のある人は自分の言葉があり、語ることができる。

 花村さんが〔活気〕というものを重んじるところに、人生の達人を見る思いがした。聞いていて、ハッと目が醒めたような気分になった。

「世の中の男で、勝負事の嫌いな人ってあんまりいないんじゃないの。男は戦うのが好きなんだよ。そういうものみたいだよ、男は」

 まさに男は戦うことによって価値がつくのであり、活力を得るのだ。同じことは、呑む買うにもいえると思う。だから男は、大昔から損をするとわかっていても、打ち、呑み、買って、明日への活力にしてきたのだ。

 ここの所をわからないで、酒はいけないバクチもいけないと、禁じてしまうようでは世の中味気がなくなってしまう。では、どんどんやりなさいと、奨励するのかといえば、誰も奨励する人もいないだろう。

 人それぞれ生き方が違って、主義主張も大いに違う。ところが得てして、キレイ事なタテマエ論が、本音の部分を制し時として声高にすらなる。花村さんの〔活気〕説は、いいにくい本音の部分を表現して巧みである。

(つづく)

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真剣師として活躍した花村青年は、名古屋で将棋クラブを経営するようになる。(昭和12年頃)

将棋クラブには旅の棋客が数多く訪ねてきた。

当時のしきたりとして、席主は旅の棋客へ何がしかを包まなければならない。

将棋クラブの利益だけでは付き合いの金までは回らない。

そこで、奥の一間で博打を開帳するようになる。

その後、警察に目を付けられ始め、花村青年は名古屋を去り大阪へと向かう。(昭和14年頃)

大阪で真剣師生活を復活して間もなく、召集令状が舞い込む。

(つづく)