5歳程老け込んで見えた顔

将棋世界2005年12月号、深浦康市八段(当時)の王座戦第3局観戦記(羽生善治王座-佐藤康光棋聖)「極限の14連覇」より。

 羽生王座、佐藤棋聖を含む、関係者だけの前夜祭の雑談の中で、光武顕佐世保市長はこう語った。

「実は、先程、つけ合わせのさつまいもを残してしまいました。戦争中は主食でしたがパサパサしておいしくなく、ねずみもまたいで通りすぎてしまうほど。戦後、嫌いになった事もありますが、あえて食べないようにしています。戦争の残忍さを忘れないように」。

 被爆地でもある佐世保は、体験者から子の代、孫の代へと語りつがれる。筆者の通った小学校でも夏休みの登校日に、戦時の様子が語られるのが恒例行事だった。

 くり返してはならないのは残忍な歴史であるが、個人の持つ輝かしい記録は必ず後人の手によって塗りかえられる。どんなに偉大で前人未踏といわれようとも・・・。

(中略)

 羽生は馬を取り、一歩一歩佐藤陣に迫る。▲2五桂は詰めろなら面白いが、2筋に歩が効かないため詰まない。

 △3一玉と逃げる時の羽生の手は、モニター超しに見てもはっきりわかるほど震えていた。

 終局後、佐藤は「もっと強くならないといけませんね」。涙声だった。

 羽生、王座戦14連覇! 大山十五世名人の名人戦13連覇を連覇数で超えた。様々な角度から見ても比較は出来ないが、偉大な記録の樹立である。

 打ち上げで羽生の隣に座った。顔を見てびっくりした。明らかに、ファンの前に見せる羽生ではない。5歳程老け込んでいる顔に私は見えた。

 偉大な記録の影には、極限までの自分との戦いがある。私は自分が恥ずかしくなり、しばらく羽生の顔を見れなかった。

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羽生二冠の王座戦19連覇という記録が、あらためて偉大なものに感じられる。

この2年後に、羽生王位から王位を奪取した深浦九段も非常に立派だ。

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さつまいもについて調べてみたところ、戦時中は「沖縄100号」、「護国」を中心とした品種が配給されていたという。

これらの品種は、肥料が不足していても多く収穫できて、特に「沖縄100号」は、南は南洋から北は北海道に到るまで栽培可能だった。

ただし、寒冷地に向うにしたがって味は悪くなるということで、当時の人たちは一様に美味しくなかったと言っているようだ。

長崎県でも美味しくなかったのだから、本州や北海道で食べる「沖縄100号」はもっと美味しくなかったのだろう。

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この時の佐世保市長だった光武顕氏は、1995年に佐世保市長選挙に当選、以後3期市長を務めた。

Wikipediaによると、市長在任中は、公共事業などのハード面をおさえ、介護保険や育児などの福祉面に力を入れ、ハウステンボス、九十九島、佐世保バーガーなどを活かした観光政策も実施したとある。

将棋はアマ五段の腕前。