将棋世界2006年1月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。
数ヶ月前、国文学の専門誌から、金子金五郎名観戦記の解説の依頼を受けた。
国文学の雑誌が何で金子師の観戦記を取り上げるのだろうと、編集部に問い合わせると、今でも熱烈な金子ファンがいて、是非お願いしたい、とのこと。
ありがたい話なので引き受け、二、三ヶ月の間、観戦記をいくつか読んで、私も勉強させてもらった。金子師のはもちろん、昔の観戦記は実におもしろい。
たとえば大岡昇平氏の観戦記がある。
題材は、第十五期名人戦(昭和三十一年)大山名人対花村八段戦の第四局。大山の名人防衛が決まる場面。
■投げのさいそく
花村はとっくに勝負はあきらめていたと私は思う。しなし何分、名古屋は花村の修行の地である。生まれ故郷の浜松からも後援者が詰めかけ「やっぱりダメか」と別室で男泣きに泣いている有様。負けるにしても、指せるところまで指して見せなければならない。
名人の4五銀打ちは、碁でいえば生きている石に手入れしたような手で、露骨な投げのさいそくだが、花村めげずに、以下えんえん五十手。見掛けは王手王手と迫っているようでも、花村のコマは盤面から消える一方である。(以下略)
最近、ひょんなことから花村九段のプロ入りが話題になった。
プロ入りしてから実質十年ばかりで、花村は名人挑戦者になるまで出世した。
控室に応援に来ている人達のなかには、プロ入りに力を尽くした人もいただろう。
その我らがヒーローは、ついに名人になれなかった。その無念の涙のなかには、よくぞここまで来てくれた、との嬉し涙も混じっていた。男泣きしたファンこそ、最も仕合わせなファンだったのである。
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露骨な投げの催促といわれた△4五銀の前後の局面を見てみたい。
この一局は花村八段のタテ歩取り模様からはじまり、大山名人が花村八段の攻めを受けきった形。
下図の局面で△4五銀が打たれる。
攻めの火種を徹底的に根絶やしにしようという指し方。
以下、▲4五同銀△同歩▲3五馬△4六歩▲2四歩△同香▲2五歩△同香▲2三歩△同金▲2四歩△3四金▲4六馬△5四馬
花村八段の非常に苦しい展開。
▲2三銀△3三玉▲3四銀成△同金▲3五金△同金▲同馬△3四金▲同馬△同玉▲3六金
3図から14手後の局面が4図。
ここからの大山名人の指し手は、本当に友達をなくすような手が続く。
△3三歩▲4四歩△5三金▲5一と△7九竜▲4一と△7八竜▲4二と△4九馬まで。
大山名人の勝ち。
辛いにもかかわらず花村八段が最後まで指す姿勢、ファンが別室で男泣きする気持ちがよくわかる。