控え室の人気者

将棋世界1995年7月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 夜になると控え室のメンバーが代わった。田中(寅)、青野両九段に、ついさっき庄司三段を破った行方四段も加わっている。こういうところは微妙で、帰りがけにちょっと顔を出したら、しばらく付き合う羽目になってしまった、が正しいのかもしれない。

 研究課題は、谷川対森下戦で、10図あたりからがおもしろい。

(中略)

 控え室の主役は行方君である。帰るに帰れない、とぶつぶつ言っている。こういう所では、強い弱いより、手が早く見えるのと口が達者な者が勝つ。先崎君がいればもっとおもしろかったのに。

 その行方君が、△9五香▲8九玉の次、△4七角が置かれた継ぎ盤を眺め「やっぱり谷川先生が勝ちですね」。

 ここにもう一人主役がいて、それは田中誠6級である。すなわち田中九段の息子さんで、この子が人気者だ。青野君に対しても臆せず意見を言う。するとお父さんが「お前はそんなこと言うんじゃない」と気を遣ったりする。深夜になったので「もう帰りなさい」と寅彦九段が言い、「ハイ」明るく答えて誠君は帰った。

 しばらくすると、誠君がニコニコ戻って来た。「お母さんがお父さんと一緒に帰りなさい、と言ってます」。みんなクスクス笑った。「ああ……」と答えた寅彦九段の顔は、CMの「やっときゃよかった……」と言ったときの顔と同じだった。

(以下略)

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現在囲碁将棋チャンネルで活躍中の田中誠さん。 この時は13歳だった。

今日の河口俊彦六段(当時)の文章を普通に読むと、まだ中学1年の子なので、お母さんが「お父さんと一緒に帰りなさい」と言った、という話になる。

しかし、田中寅彦九段一家がこの頃住んでいたのは、将棋会館から歩いて10分ほどの距離の所。

田中寅彦九段が深夜でありながらも誠少年に一人で帰るように言ったのも無理はないことだ。

しかし奥様はあえて「お父さんと一緒に帰りなさい」。

田中寅彦九段は、当然のことながら、終わったら青野照市九段や河口俊彦六段と飲みに行こうと考えている。

その辺を牽制して、今日は遅くならないように帰ってほしいと思った奥様が、誠少年と一緒に帰ってくるように言った可能性が高いとも考えられる。

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更には、もっと控え室に居たかった誠少年が、お母さんに電話をすれば「お父さんと一緒に帰りなさい」と言われるだろうと読んで、わざわざ家へ電話をしたという可能性もあり、この辺はなかなか読み切るのが難しいところだ。