三浦弘行棋聖が誕生した年の、三浦挑戦者直前インタビュー。
将棋世界1996年8月号、「三浦弘行が羽生善治に再び挑む!」より。
―将棋を覚えたきっかけは。
「小学校3年の時に、アマ、三、四段位だった父から教わりました。父親とあまり対話がなかったので将棋でもやってみようかという感じで始めました」
―プロを目指すようになったのは。
「家の近くにあった北本将棋道場という所に行ったのですが、そこは、みんな三段か四段の人ばかりで、僕はまだ4、5級だったのですが全然勝てないので、級位者がいっぱいいる大宮将棋センターに通うようになったんです。アマ三、四段位になれば小学校にいれば目立ちますよね。あとは自然な雰囲気でしたね」
―師匠(西村八段)との出会いは?
「新潟に『将棋の国』というイベントがあって、5年生の夏休みに家族で旅行に行きました。そこで会った熊谷さんというアマチュアの方が師匠の知り合いで先生を紹介してくれたのです。そこで西村先生の研究会が月に一度あり、香落とかを何番か教わりました。門下生の藤井六段や、退会された荒井さん、小牧さんに教わりました。あと同姓で三浦君という人がいました。西村先生が5、6級位の人に香落などで自信をもたせるためにわざと負けてくれるような時がありまして、それが印象に残っています」
―三段になったのは高校2年の11月ですが、奨励会と高校の両立はどうでしたか。
「あんまり意味がないんじゃないかと(笑)。将棋だけに集中したいなと思っていましたけど、親に行けと言われたので。テストの前まではあまり勉強しませんでしたね。授業中も詰将棋とかやってました。高校に行ってない人に比べて焦りがあって却ってそれがよかったのかもしれません。授業中に詰将棋解いていれば同じことですからね(笑)」
―三段リーグには3期いましたが。
「三段リーグは厳しかったです。前の2期は7ー11、8ー10で負け越しまして3期目は気分も相当乗ってて、バイオリズムも良かったようです。その3期目は結構将棋の勉強しましたね。半年だから調子がいいのが保てて抜けられたのかもしれないです。1年だったらなかなか抜けられなかったような気がしますね」
―奨励会時代、羽生さんはそんな存在でしたか。
「すごく強かった印象があります。その時から一番強いような気がしました」
―対戦されたことは?
「一度もないです。僕が初段位の時に竜王を取られたんです。一番注目してました」
―今の一日の生活パターンは。
「メチャクチャですね。睡眠時間がメチャクチャですから。研究はやる時はやってやらない時は全然やらないです。睡眠時間は対局日の前後あたりしか決まっていません。研究も2、3ヵ月一生懸命やって、それで疲れて全然やらなくなるというパターンが多いですね。最高一日10時間以上やったこともありますが、そしたら疲れて、あとは全然だめでした」
―一人暮らしをされているのですか。
「いやそうでもないです。群馬の実家にもよく帰ってますから。母が毎週、埼玉のアパートに来ますけど」
―お母様の話だと、対局の日は人に話しかけられたくないそうですが。
「いや、あまり長いインタビューだとちょっと困るので。あと、例えば持時間が10分切った時に話してるヒマがないっていう、ただそれだけです」
―対局の前とかやっぱりナーバスになりますか。
「そういうこともあります」
―対局の前日にお母様が家で宴会やって、それで三浦先生が怒られたって話を読みましたが。
「ああ、ありましたねえ(笑)。ちょっと怒った記憶はありますけど」
―将棋の勉強は?
「パソコンで流行戦型を調べたり、詰将棋です。パソコンで局面を指定してデータを出すのが便利でよくやってます」
―今の若手棋士はみんなパソコンですか。
「使ってない人もいますよね。半々位ですか。パソコンは便利ですが頼りすぎるとよくないですね。ピッピッ動かしてなんかゲームみたいですからね。詰将棋だけは昔はほとんど毎日何時間もやってました。あれは力がついたと思います。今はやってないからまずいんですけどね。パソコン動かして画面見てるのは楽じゃないですか。頭使わなくていいから。だから苦労してないからあまりよくないんでしょうけど」
―昔の記事を読むと愛読書は将棋年鑑とありましたが。
「その頃はパソコンを使ってなかった時期ですし、棋譜がいっぱい載ってるといったら年鑑くらいですよね。今は全部パソコンに入ってますからね」
―趣味は。
「よくゲームセンターで麻雀とかやりますけど」
―ファミコンはやらないんですか。
「昔やってましたが、壊れてからやらなくなりました。わざわざ直してまでやろうとは思わないんで」
―研究会は。
「やってません。必要なんでしょうけどちょっと出不精でめんどくさいんですよね。あと家が遠いこともあって」
―付き合いのある棋士は。
「新四段の松本さんと、あと今、三段の弟さんとかとよく付き合っています。家が近いこともありますし」
―旅行したり、お酒飲みに行ったりとかは。
「とにかく出不精なんで、あまりめんどくさいことは嫌いなもんで、あまりないです」
―寒がりって聞いてますが。
「いや、そうでもないですが」
―有名な加藤(一二三)先生との「冷房事件」がありましたが(暑がりの加藤九段と三浦五段が対局中に空調のスイッチを互いに切ったりつけたりした事件)。
「本当は僕は全然意識してなかったんですが、ただカゼ引いてて寒かったので消しただけなんです。その時は知らなくて、あの時はまずいことをしたんだなと思ったんですが、加藤先生が私が切った後につけていたのは知らなかったんです」
―対局の時は栄養ドリンク剤を飲まれるそうですが。3,000円の”ゼナ”とか。
「そういえばこの間の順位戦で飲んでましたけど。その話は誰から聞きました?」
―いや、お相手の先崎さんからですけど。以前は5,000円のを飲んでたとか。
「いや全然ないですよ。どうしてそういう話が出てくるのか(笑)」
―お好きな銘柄とか。
「いや、まあそりゃ飲んでますけど、よくゼナとか」
―3,000円のですか。
「いやまあ別に3,000円のってことはないですけど」
―でも3,000円も出すからには気合が入りますよね、眠くなるわけにはいきませんからねえ。
「ああ、まあ(笑)。しかし細かいことよく知ってますねえ」
―本はどのようなものを読まれますか。
「歴史物をよく読んでますけど」
―歴史物のどういう所がすきですか。
「あんまりよくないんでしょうけど、戦争で戦っている所が……」
―よくない?
「だって人が殺されるのってまずいじゃないですか。そういう策略とかをよく面白くて読んでるんですけど」
―他に読まれるのは?
「週刊誌とかよく読みますけど、あとジャンプとか」
―昔に比べて将棋の勉強方法は変わってきましたか。
「変わってきてますね。昔は詰将棋だけやってましたが今はあまりやらなくなって。やっぱり年なのかもしれないんですけど(笑)。これ以上解くスピードが速くならないんですよ。昔はこれが速くなれば読むスピードが速くなると思ってどんどん速くしていこうかと思ったんですけど、ある程度限界を感じちゃって。まあやってないから落ちますけど。それにちょっとつまらなくなっちゃいました」
―図巧とか無双は解かれました?
「無双は難しかった記憶があります。図巧はあまり意味がないんですよね。どうせ不成だろうとか、手筋が大体分かっちゃうので。無双は結構時間がかかりましたね。不詰とかあるんで。解くのは大変でした」
―去年の棋聖戦を振り返っていかがでしょう。
「羽生先生は終盤が強いなって思いましたし、僕は弱いなあと思いました」
―今、羽生七冠王ってどう思いますか。
「強いとしか言いようがない。ただ、羽生先生は振り飛車だけで勝率を落としてますよね。居飛車では相当勝っててそれでなんで飛車振るのかなって思うんですけど。ちょっと不思議なんですけど、わざわざ振る必要がないのに」
―今回は作戦は考えてますか。
「前は考えてましたけど、今はあんまり意味がないんじゃないかと」
―いろいろな戦型をやってらっしゃいますが。
「ええ。でも幅を広げすぎて内容が薄くなってきてるんですよ。本当は理解して一つ一つやった方がいいと思うんですけど」
―好きな戦型は。
「あるんですけどちょっと言いたくないんです。秘密にしておきたいので」
―中原永世十段、屋敷七段も棋聖位に連続挑戦してタイトル奪取されていますが。
「そういうことを言われるとプレッシャーがかかっちゃいます(笑)。まあ精神的にも実力的にも劣ってるんですけど、五番勝負で時間が短いので、まぐれで勝ってもいいんじゃないかと(笑)。羽生先生はゆるまないところがすごいと思います。普通はいいやって思いますよね。あそこまで勝つとわざわざ七冠獲ろうとは思わないじゃないですか。そういう所は他の人と違うんじゃないかなあと思います」
―昨年のタイトル戦からの反省は。
「森下先生は言われてますけど、技術が劣っていれば仕様がないってことですよね。やはり羽生先生より強くなるしかないので。どこをどうすればというより、将棋の勉強をするしかないと思うんです」
―羽生さんは序盤の10手から20手で勝負がある程度決まるから神経を使うと言われてますが。
「羽生先生は終盤が強いから序盤さえしっかり指せればと思ってるんでしょうね」
―羽生さんのいろいろな発言には関心がありますか。
「多少はあります」
―「打ち歩詰めのルールがなければ先手必勝」というのは。
「僕には分かりませんが、もしそれが本当に理解されているとしたら恐ろしいですね。他の棋士は絶対分かってないはずですから」
―羽生さんを奨励会の時から意識していたということですが、他に尊敬する棋士は。
「大山十五世名人です。あれだけの実績を重ねてもまだ積み重ねていこうという所ですね」
―同年代で意識する棋士は。
「他の棋士には失礼ですけどあまりいないです。みんなそうじゃないですか。やはり一番強い人に関心があるんじゃないですか」
―去年の棋聖戦は緊張しましたか。
「ええ。いろいろ気を使いますから。ただ将棋には影響しませんでしたけど」
―最近の調子はどうですか。
「嫌なジンクスがあって、去年も挑戦者になってからタイトル戦に入るまで一回も勝っていないんですよ。今年もそうなんでちょっと嫌なんですよね」
―昨年は将棋の本を持参されて、ホテルのフロントに預けようとされたそうですが。
「ええ。対局中に本を見てると思われるのが嫌でしたので」
―タイトル戦に本を持参するなんて珍しいですよね。どんな本でした?
「たしか福崎先生の振り飛車穴熊の本と森下先生の矢倉の本だったと思います。でも最近は対局中に読んでると思われるのが嫌なので持ち歩かないようにしています」
―棋聖位に再び挑戦が決まり、師匠の西村八段から何か言われましたか。
「昨年挑戦が決まった時は、師匠から『今回は勝てないだろうけど慣れていないんだから仕方ない、精一杯頑張りなさい』というようなことを言われました。僕は実力負けだと思ってるんですけど、ただそういう所で気を使っていただいて感謝しています。今回も挑戦が決まって報告しましたが、師匠の方が先に知ってたので」
―今回の棋聖戦に向けて最後に一言おねがいします。
「客観的に見ればダメなんでしょうけど、昨年もいろいろお世話になった産経新聞社さんにはそれでは申し訳ないので、短い番勝負ということもあり何があってもおかしくはないので頑張りたいです」
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非常にほのぼのとさせられる。
三浦弘行九段の人柄・キャラクターが表れている。
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「新潟に『将棋の国』というイベントがあって、5年生の夏休みに家族で旅行に行きました。そこで会った熊谷さんというアマチュアの方が師匠の知り合いで先生を紹介してくれたのです」
『将棋の国』は、1984年に苗場スプリングスホテルにより企画された。
この年の奨励会旅行も『将棋の国』へ行っている。
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「授業中も詰将棋とかやってました」
授業中に詰将棋を解くという手筋は、後年(2002年)の木村一基五段(当時)の結婚披露宴などで活かされることになる。
2005年度NHK杯トーナメント準々決勝、森下卓九段-三浦弘行八段戦の解説だった木村ー基七段が、「三浦君は僕の結婚披露宴の最中、ずっと詰将棋を解いていたんですよね」と語っている。(段位は当時)
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「いや、あまり長いインタビューだとちょっと困るので。あと、例えば持時間が10分切った時に話してるヒマがないっていう、ただそれだけです」
対局前に長いインタビューをする人や、持ち時間が10分を切った時に話しかけてくる人は、なかなかいないと思うのだが、面白い回答だ。
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「対局の前日にお母様が家で宴会やって、それで三浦先生が怒られたって話を読みましたが」
「ああ、ありましたねえ(笑)。ちょっと怒った記憶はありますけど」
この記事は、次のブログ記事に含まれている。
→三浦弘行五段(当時)「テレビでプロ野球の観戦の他は…そうですね、なるべく盤に向かうようにしています」
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この当時、三浦五段のお母様への取材が多かったことがわかる。
過去の記事にもあるように、ざっくばらんで楽しいお母様だ。
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「パソコンは便利ですが頼りすぎるとよくないですね」
この当時のパソコンの利用は棋譜検索や局面検索だったが、これは現代のAIの利用についても同じことが言えるかもしれない。
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「そういえばこの間の順位戦で飲んでましたけど。その話は誰から聞きました?」
ゼナに関するやりとりが、奇妙な雰囲気があって可笑しい。
「いや、まあそりゃ飲んでますけど、よくゼナとか」も、会話の成り行き的に、突っ込みどころに溢れている。
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三浦五段の栄養ドリンクに関することは、将棋世界編集部の渾身の取材であったことがわかる。
将棋世界の同じ号のカラーグラビアより。
本誌取材で明らかになった対局前の栄養ドリンクは今期第1局でも活躍。見事開幕戦に勝利を収め、シリーズの流れは、俄然面白くなってきた。
グラビアでもインタビューでも、編集部は栄養ドリンクにかなりの思い入れを持っている。
そして、大崎善生編集長の「編集部日誌」でも、次のように書かれている。
野村君が棋聖戦挑戦者の三浦五段にインタビュー。先崎六段から入手した三千円のゼナ情報をぶつけて得意満面。「どうしてそんなことを知っているんですか?」「編集部とはそういう所です」なんていう会話もあったらしい。
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「あるんですけどちょっと言いたくないんです。秘密にしておきたいので」
という好きな戦型へのコメント、
「普通はいいやって思いますよね。あそこまで勝つとわざわざ七冠獲ろうとは思わないじゃないですか。そういう所は他の人と違うんじゃないかなあと思います」
という感じ方も面白い。
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「たしか福崎先生の振り飛車穴熊の本と森下先生の矢倉の本だったと思います。でも最近は対局中に読んでると思われるのが嫌なので持ち歩かないようにしています」
三浦五段が一度目の棋聖戦挑戦の時に持って行った本は次の二冊と思われる。
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「客観的に見ればダメなんでしょうけど、昨年もいろいろお世話になった産経新聞社さんにはそれでは申し訳ないので、短い番勝負ということもあり何があってもおかしくはないので頑張りたいです」
このような謙虚過ぎるとも思えるコメントも三浦五段らしいところ。