元・近代将棋編集長の中野隆義さんから、昨日の記事に対し、貴重なエピソードをコメントとしていただいた。
>窓から見える東京の夜景を背に、谷川王将が「あんたの負け」と指差す。
>絶対に見てみたいシーンだ。
谷川流は、けっこうひょうきんなんですよね。
あれはたしか、谷川流が森けい二流に王位をとられた直後でしたか。マージャンの井出洋介名人も確か一緒で、皆でカラオケが歌えるお店に行ったときのことだったと思います。
誰かが、お店の女の子に「ね、この人知ってるでしょ、将棋の名人。そしてこちらがマージャンの名人」と、あまり盛り上がりそうにない話題を振りましたところ、案の定受けずに場がしらけかかってしまいました。と、そこで谷川流が、いつものソフトムードとは違う声色で「いえ、私は王位です」とやったんです。
例によってかなり酔っていた私めではありましたが、さすがにギョッといたしまして、あれ、取られたばっかりの王位だなんて谷川流も私めと同じく酔っ払っちゃったのかなと、思わず顔を覗き込んでしまいました。辺りには一瞬、しらけ鳥が飛ぶどころかキンチョーの夏がやって来ちゃったんじゃないかなというくらいの空気が漂いまくります。と、背筋をピッと伸ばした谷川流は、やおら手近にあったカラオケのリクエストカードを一枚取るやサラサラと「少年時代」と書き、リクエスト者の名を記入する欄にはことさら大きな字で「おーい谷川」と書いたのです。
いや、これには参りました。
井出さんらと大笑いしながら、こりゃあ、復位は近いなと思ったものです。
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森けい二九段が谷川浩司王位(当時)から王位を奪取(4勝3敗)したのは1988年9月21日のことだった。
記録によると、第7局の対局場は「陣屋」。
中野さんたちが行った店は鶴巻温泉のクラブかスナックと思われる。
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王位を失う直前までは、谷川三冠王(名人・王位・棋王)だった。
中野さんの読み通り、谷川名人は翌年、王位を奪還する。
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谷川名人が歌った「少年時代」は井上陽水作詞・作曲。
「夏が過ぎ 風あざみ.…」から始まる歌詞。
季節的および心境的にはピッタリの歌だ。
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井上陽水さんも将棋が好きなことで知られている。
1988年の井上陽水さんで思い出すのは、日産セフィーロのCM。
「皆さんお元気ですか」という台詞の”か”のあたりが、絶妙に変な雰囲気で話題になった
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「ね、この人知ってるでしょ、将棋の名人。そしてこちらがマージャンの名人」と、あまり盛り上がりそうにない話題を振りましたところ、案の定受けずに場がしらけかかってしまいました。
今からは考えられないような1988年当時の風景。
プロ棋士という職業を知らない人も多かった頃だ。
そういう意味でも、羽生七冠王誕生(1996年)で将棋界が広く知られる以前と以後では、時代が大きく変わったということが分かる。