将棋世界1996年6月号、中野隆義さんの第54期名人戦〔羽生善治七冠-森内俊之八段〕第2局観戦記「戦法の色」より。
羽生将棋の一大特徴は攻守のバランスが非常によく取れているところにある、とはいろいろな評論で語られているところである。大体、攻守のバランスが良くなければとてもA級の超一流まで上がれないのであって、バランス云々はタイトルを争っている棋士には無用の褒め言葉なのだが、それはさておき、相手の出方に応じて攻めと守りの最強手段を打ち出してゆく羽生将棋には、自在の脚質という形容がいかにもピッタリとする。
その羽生が、対森内戦になるとにわかに凶暴になる、と村山怪童丸が言っていた。鋭い観察眼である。
羽生、森内ともに昭和45年生まれの25歳。小学生の頃より、互いに相手を『手強い奴』だと認め合ってきた仲である。あいつにだけは負けたくない、という気持ちが生まれ、それが育っていくのはごく自然なことだ。
(中略)
森内の矢倉指向に対し、羽生は右四間飛車の構え。森内陣の本丸を直撃しようという陣立てである。記者は、村山の言葉を思い起こし内心にやりとした。
相矢倉戦は先手が主導権を握り易く作戦勝ちになる確率が高い、というのが現在の将棋戦術の相場となっている。後手番になった者には、先手にリードを許さぬようどんな工夫を見せるか、という使命が課せられる。
第1局では、森内は金銀四枚を玉辺に集結して徹底防戦の構えで対抗した。森内将棋も攻防のバランスが良いことはもちろんだが、どちらかと言えば受け身の勝った将棋である。森内の作戦自体の評判はあまり良くはなかったが、森内のいわゆる”らしさ”が出た駒組からは、戦う者の発する気合が溢れ出ていた。初登場の大舞台の初戦から、堂々と自分を出した森内は掛け値なしに大した棋士だと思う。
(以下略)
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森内俊之名人にとっての初のタイトル挑戦が1996年の名人戦だった。
この時は、羽生善治七冠が4勝1敗で防衛している。
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今期の名人戦第1局終了後、勝又清和六段がブログで、「お互いにお互いが相手の事を 力いっぱいブン回しても 壊れないおもちゃだと思ってる」という言葉で、森内名人と羽生二冠の関係を表現している。
故・村山聖九段の「対森内戦になるとにわかに凶暴になる羽生」の16年後の二人が、見事に描かれている。
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羽生二冠は、負けた時の戦型をそのままにしておくタイプではない。
今日から始まる第3局、羽生二冠は、第1局で敗れた後手矢倉を再び採用すると予想したい。