棋士たちのボウリング大会

近代将棋1991年3月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 指し初め式。関西棋士はまとまりがいいので、こういう会合があるとほぼ全員があつまる。5階「御上段の間」の特等席に座っているのは東六段と杉本四段だ。「写真撮って下さいよ」と東さんに言われ、パチリ。宴会のあと梅田の桜橋ボウルで「新春ボウリング大会」(本間四段が企画)。総勢27(うち棋士18名)のビッグイベント。抽選で3名1チームを決め(1人3ゲームずつ投げる)、チームの合計得点(ハンディなし)で順位を争うルールだ。私のチームは浦野六段と鹿野女流1級。「こりゃ、優勝できんワ」と思ったら、果たしてそうだった。浦野さんと鹿野さんに責任はない、私が1人で得点を下げたのである。南棋王チームがダントツで優勝し、2位は谷川竜王チーム。棋士の個人順位は次の通り(カッコ内は3ゲームの合計得点)。

1位 南棋王 (509)

2位 木下晃六段 (492)

3位 野田四段 (477)

4位 谷川竜王 (473)

5位 本間四段 (459)

6位 井上五段 (423)

7位 神吉五段 (423)

8位 福崎八段 (411)

9位 浦野六段 (410)

10位 鹿野女流1級 (399)

(以下略)

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将棋世界1990年12月号、山田史生さんの「羽生善治VS谷川浩司 フランクフルトへの道 第3期竜王戦開幕前の二人をカメラで追う」の写真コメントより。

(10月)13日夜は東京タワーボールで、棋士仲間、関係者が集った。何と谷川、羽生も参加。ボウリングの腕前は谷川に軍配。2ゲームで谷川は161、137。羽生は87、139。

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羽生善治竜王(当時)と谷川浩司王位(当時)のボウリング決戦は、羽生竜王が追いあげを見せたものの、序盤から飛ばした谷川王位の圧勝となった。

谷川王位は、この勢いをもって竜王戦七番勝負に臨み、羽生竜王を破って、竜王位を獲得することになる。

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関西は南芳一棋王(当時)がトップのスコア。

南芳一九段は将棋一筋のイメージが強いが、決してそうではないことがわかる。

アベレージ170近くのスコアを出すには、相当な練習量が必要だと思う。

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観戦記者の椎名龍一さん(スカ太郎さん)は、プロボウラーのライセンスを持っている。

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昔、いつも考えていたことがある。

ボーリングのスコアとゴルフのスコアと知能指数の関係。

数値の大きさが、

ゴルフ<知能指数<ボウリング が理想的だろう。

ゴルフは100を切ればなかなか、ボウリングは150を超えればそこそこ。

ところが、私は明らかに、

ゴルフ>知能指数>ボウリング なのだ。

ゴルフは180を切れない、ボウリングは100をなかなか越せない・・・

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私が中学生の頃、日本はボウリングブームだった。

テレビではボウリングの番組をいくつも放送していた。(特に、大橋巨泉さんの番組で、アシスタントの一谷伸江さんが勝利者賞として紹介していた、平和堂貿易の時計やカリフォルニアアーモンドなどをよく覚えている)

一方、現在ではとても考えられないことだが、ボウリング場は不良の溜まり場ということで、学校の先生からはボウリング場へは生徒だけで行かないようにという指導がされていた。

当時、真面目な中学生だった私は、その教えを忠実に守り、ボウリング場へは近づかなかった。

高校生になっても大学生になっても・・・

私が生まれて初めてボウリングをやったのは社会人になったばかりの22歳の時。

やはり東京タワーボウルでのことだった。

男女あわせて10人くらいでやったと思う。

思うようにスコアが出せず、初めてとはいえ、情けない気持ちが襲ってきたものだった。

「やっぱり、人間、若い頃から遊びが大切だ。ボウリングだって二十歳前にやっておくべきだった。でも、まだこれからでも遅くはない」

大学時代から酒を飲んだりして十分に遊んできた私だったが、そう感じた。

しかし、一晩寝ると、「やっぱり、人間、若い頃から遊びが大切だ」と前半部しか頭の中に残っていなくて、それからというもの、ボウリングの修行をするわけでもなく、更に酒を飲む機会を積極的に増やすようになってしまったのだった。