自然児の面目躍如(森雞二九段)

将棋マガジン1991年9月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 森雞二 ぶつかり稽古の効用」より。

マイカー棋士のなかで

 将棋界にもマイカー族が増えた。どのくらい増えたか、よくわからないけれど、目につくようになったことはたしかである。

 なんといっても、田中寅彦八段のベンツがいちばん目につく。将棋指しとベンツの取り合わせが、よほどめずらしかったのか、写真週刊誌にも載った。

 たしかに、将棋会館の駐車場に、クリーム色のベンツがあると目立つけれど、田中は、服装や持ち物で目立ちたがるタイプではない。むしろ、ベンツでも実質本位で乗っているといったほうが当たっている。

 その道では”不動産評論家”として通っているくらいだから、資産評価をして、ベンツがいちばん得だと判断したにちがいない。おまけに田中は、たいへんなマイホーム・パパでもある。

 ベンツを買ったときは、三児の父親だったが、やがて四人目が生まれた。たぶん、田中は、この日あるを予想して、家庭総出でドライブするときのために、大型車を物色した。さらに、安全性も考えれば、ベンツに目がいってとうぜんだろう。

 だから、田中の場合、ベンツを乗り回している、といった豪奢な雰囲気とは程遠い。なんとなく、つましい感じさえする。じっさい某棋士が乗ったら、座席に紙オムツがあるので、びっくりしたそうだ。

 島朗七段はアウディ。これは、いかにもぴったりしている。ただし、島もファッションがどうのというほどには、クルマに関心をもっているようすがない。

 (中略)

 十年以上前には、若手のオーナードライバーは見当たらなかった。そこのろ、まだ独身で、二十代棋士の代表選手と目されていた青野照市八段(当時七段)に、なぜ、クルマを運転しないのか、聞いたことがある。青野はやや強い口調で答えた。

「対局で神経をつかいますから、ほかのことで余分な神経をつかいたくないですね」

 世の中の若い連中と一緒にされては困る、というふうに聞こえた。そんなことかと思ったが、その青野も、数年前から自家用車に乗っている。

 青野は家庭を持つようになって、東京脱出計画を立てた。伊豆に本拠を構えて、家族はそこに住まわせ、対局その他のために東京に前進基地を設ける。伊豆で生活するにも、東京と伊豆を行き来するにも、クルマがあれば便利に来まっている。計画の見通しが立ったあたりから、クルマの運転を習いはじめた―。

 ご当人にたしかめたわけではないけれど、これはこれで納得できる。また、近年、若手棋士にマイカー族がぽつぽつ出てきたのも、時代の流れで、べつに気にすることもない。

 しかし、森雞二九段が、かなり以前からクルマを運転していると聞くと、いちどは首をかしげたくなる。それは、おまえの偏見だといわれてしまえば、それまでだが、この男が自動車を運転している光景は、すぐには浮かんできにくい。

 珍なる自然児

 森は飛行機嫌いで通っていた。あんな、空を飛ぶ金属のかたまりには、危なくて乗れないという。文明の利器をぜんぜん信用していなかった。飛行機ならひとっ飛びのところを、かならずトコトコ列車で行った。

 いつごろからか、森は博才に目ざめた。ギャンブルのためなら、三途の川もいとわぬ覚悟で、ラスベガスに行くとき、初めて飛行機に乗った。その後、モンテカルロにも行った。それで、安心して飛行機に乗るようになったかというと、そうでもない。

 森が初タイトルを獲った第40期棋聖戦(1982年)の第二局は、函館で行われた。このとき、飛行機に乗らず、汽車と青函連絡船を乗り継いで対局地に向かった。芹澤博文九段が担当した観戦記には、こう書かれている。

<本人が言うには今年は飛行機がいけないと占いに出たそうであるが、占いなんぞ信じる将棋指しは真に珍なるものである。この飛行機に乗らぬことと、いつぞやの名人戦で突如剃髪して現れたことと何か共通しているような気がする>

 いまひとつ、森は、体にわるいからといって、水道の水を飲まない。それが最善と信じれば、断固、実行する。対局室にもミネラルウォーターを持ち込むようになった。以後、森に倣って、対局中にミネラルウォーターを飲む棋士がふえた。

 水道の水を飲まないのも芹澤流にいえば、占いや剃髪と、なにか共通しているような気がする。その共通項を敢えて探せば、文明社会の制約に背を向け、文明の利器などへとも思わない自然児ということになるのかもしれない。

 こういう男が、文明社会の申し子みたいな自動車を運転すること自体、すなおには納得しがたい。しかも、いざ運転すれば、スピード制限をはじめ、いろいろな制約がある。自然児であるがゆえに、森は制約を無視して、気の向くままクルマを走らせているのではないか、と余計な心配までしてしまう。

 先日、森の兄貴分みたいな大内延介九段に、そんな感想をもらしたら、大内は、にこやかにいった。

「ふしぎなことに、運転だけは慎重なんですよ。絶対に無茶をしない。むかし、私が引越しするとき、トラックを運転して手伝いにきてくれたりね。安心して任せましたよ」

 念のため、森と親しいカネラマンの弦巻勝さんに聞いたら、やはり同じような答えが返ってきた。弦巻さんは運転歴も古いから、これはたしかだろう。

 こうなると、芹澤は「珍なるもの」と書いたが、「フシギ人間」としかいいようがない。が、百歩退いて、クルマの運転をのぞけば、自然児の面目躍如たる話は、いっぱいある。

 森は、よく弦巻さんの家に遊びに行き、泊まったこともある。この客は、朝になると、朝食の注文を出した。弦巻さんは、半ば呆れ顔でいっている。

「ご飯に味噌汁くらいなら、まだいいんですけれども、それに納豆と干物となになにがなきゃいけないって、まあ、うるさいんです。考えてみると、みんな、いわゆる自然食なんですね」

 酒場で、弦巻さんがその話をしたら、同席していた真部一男八段が、これまた呆れ顔で、

「弦巻さんのところは、奥さんがいるからいいですよ。ぼくんとこで、研究会をやって、そのあと飲んで泊まるでしょう。朝起きると、ぼくみたいな独り者に、同じようなことをいうんですから」

 両者とも、そういいながらも、腹を立てているようすはない。森は自然児そのまま、明るすぎるくらい明るく、天真爛漫としているので、腹を立てる気にもならないらしい。

(つづく)

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朝食の典型というと、ごはん、味噌汁、納豆、生卵、鯵の干物、漬物、海苔、しらすおろしなどのメニュー。

私は子供の頃から朝食を食べない派なのだが、旅行や出張など自宅を離れた場合には朝食を食べたくなるという不思議な習性を持っている。

ホテルの朝食バイキングでは、ごはん、味噌汁、ソーセージ、ベーコン、牛乳、オレンジジュースという和洋折衷の取り合わせ。

森雞二九段から破門されそうな選択かもしれない。