谷川浩司二冠(当時)「棋士というのはよく負ける職業なのです」

将棋世界2004年9月号、鈴木輝彦七段(当時)の「古くて新しいもの」より。

 升田先生の言葉に「笑える時に笑っておけ」がある。笑いが止まらない程の大活躍を見せても、いつか笑えなくなる時が、どんな棋士にも来る。そんな意味かと思ってきたが、年を重ねてくると、違った想いも湧いてくる。

 私が20代後半の今から20年も前は、午前中の対局室には笑い声が溢れていた。

 時には、大広間の笑い声が特別対局室にまで届いたこともあり、「凄いね」と誰かが言うと「いいんだ。笑える時に笑っておかなくては」と米長二冠。御自身は、これから四冠にまっしぐらの時で、一番笑える時だが、案外自嘲気味に言われたのが面白い。

 むしろ、若手の大笑いがうらやましかったのかもしれない。今笑ったら、勝ち運も長くは続かないと思われたのだろう。してみると、対局室で大笑いしたことは引退までなかったことになる。

 升田先生の言も、引退してからのものであり、棋士の職業としての切なさを言ったのではないかと感じていた。

 現在の対局室では笑うことすら許されない。開始10分の相掛かりの将棋で7手目▲1六歩とした瞬間に緊張が走る。「受けるべきか、△8六歩と積極的にいくか」勝負の命運を賭ける選択はハムレットの心境である。

「朝の30分位はゆっくりお茶でも飲みたいです」といった後輩棋士の嘆きも分かる気がする。

 野球でいえば、1点ずつ稼いで9対7位で勝つのが昔流で、今は1点取ってミスなく勝つといった感じか。9対0から9回の裏に10点入れられて大逆転はよくあったが、今は見られない。

 朝日オープンの就位式では、2点入れて逆転することも少なくなっている、といった意味のことを羽生選手権者が言っていた。そして、「ルールは同じでも勝負のつき方は明らかに変わってきました」は刮目すべき発言だと思った。

 一流の棋士が腹の底から笑えないといえば、7月号の「棋士たちの真情」での谷川さんの発言にも感動を覚えた。「棋士というのはよく負ける職業なのです」はたしかに不惑を迎えた男の言である。

 およそ、不惑とは程遠い私には気付かないことだった。負けず嫌いの人達が選んだ仕事が将棋指しだと思ってきたからで、本当は負けることによって生活出来る職業だったとは。

 考えてみれば、ずっと勝ち続ける人はいない。私もトータルで4割5分6厘であった。よく負けたと思ってきたが、その負の数で生活も出来ていた訳である。このことにもっと早く気付くべきだった。であれば、謙虚に生きて、あんなに大声で笑ったりしなかっただろう。

 いや、私にもチャンスはあった。羽生さんが19歳の時に対局の後、「あんなに勝てれば楽しいだろうね」に「いえ、負けの数は他の人と変わりませんから」は谷川さんと同じ意味であった。彼もよく負ける職業だと感じていたのだ。

 升田先生も、笑っても笑わなくても大差はないが、笑える時は笑っておけ、と教えたかったのかもしれない。

(以下略)

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升田幸三実力制第四代名人の「笑える時に笑っておけ」は、「喜ぶときには素直に喜ばなきゃあいかん」が原典と考えられる。

升田幸三九段「喜ぶときには素直に喜ばなきゃあいかん。泣かなきゃあならんときが来るんだから、この勝負の世界は、絶対にね」

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谷川浩司二冠(当時)の「棋士というのはよく負ける職業なのです」は、次のような意味合い。

将棋世界2004年7月号、中平邦彦さんの「棋士たちの真情 谷川浩司王位・棋王」より。

<春風駘蕩>

 最近の谷川は色紙にこれを書く。「棋士というのはよく負ける職業なのです」と谷川は話している。連敗もあれば、重要な一戦で痛い逆転負けを喫することもある。悔しく、みじめで、落ち込むことも多い。しかし、大切なことは、いかに早く気持ちを切り替え、悪いイメージを断つかである。終わったことは終わったこと、明日は明日の風が吹くと、ゆったり構えたい。それが次の勝利を呼ぶ。

(以下略)

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「棋士というのはよく負ける職業なのです」は「棋士というのは気持ちを切り替える職業なのです」とほとんど同じ意味かもしれない。

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19歳の頃の羽生善治竜王の「いえ、負けの数は他の人と変わりませんから」は、1992年に鈴木輝彦七段(当時)によって紹介されている。

「負ける数は他の人と変わりませんから」

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「野球でいえば、1点ずつ稼いで9対7位で勝つのが昔流で、今は1点取ってミスなく勝つといった感じ」

9対7の勝負と1対0の勝負、どちらが面白いかといえば、それぞれにはそれぞれの良さがあり、両方とも面白いということになるだろう。片方だけに偏っては困るけれども。