将棋マガジン1995年6月号、木村一基三段(当時)の自戦記「生意気小僧」より。
ええ、木村家淋病と申しまして、そう、リンペイと読みますんで、ま、間違っても違う読み方はなさらぬように………。まあ一回限りのハナシですんで、最後まで宜しくお付き合い下さい。
こういった小噺ってえのは、ま、大体間の抜けた奴ばかりが出てくるんですな。ご隠居とか、小僧(木村)とか、八百屋なんてあたりが出てきます。
「よお、まだ生きてたか」
「おう、八百屋か、聞いとくれよ、実はな、うちの小僧が将棋で優勝したんじゃよ」
「へえ、そりゃまあ何よりですな。人の噂ってえのはしくじった話の方がおもしれえんだが、たまにはこう、景気のいい話もいいや。おい小僧、折角だからその将棋を見せてくれよ」
「またうるさいのが来たか」
「なんだと」
「いえいえ………並べますよ」
◇ ◇
「この将棋は、奨励会に寄付していただいたお金を賞金にして年に一回行なっている非公式のトーナメントの決勝なんです」
「風変わりな序盤じゃのう」
「相手が振り飛車党だとわかっていたので最初から注文をつけてみようと思って。良し悪しは何とも言えませんけど」
「ふん、小僧。何理屈こねてんだ。あっしなんか角道開けて、向こうも開けたら、角取っちまうけどね、何だ、角道止めていやがる。どうもわからねえ」
「……………」
「ほう、大模様を張っているのう」
「はい、6筋の位を取って作戦勝ちを目指す方針なんです。持ち時間が少ないから終盤で必ずこの位が生きると思ったんです」
「やい小僧、それじゃあもう勝ったつもりみてえだな」
「いや、そんなことはないけれど。ここで僕は△4三銀かな、と考えていたんです」
「そこで▲3六歩はどうじゃ」
「△同歩▲3五歩△同角▲同銀△同飛となります。そうなると後手からはいつでも△2五飛とぶつける手があって先手の指し方が難しい」
「ふうむ」
「何二人して踏みつぶされたような顔して考えてんだよ。角と銀の交換だからいいじゃねえか」
「これ八百屋、まあ聞きなさい。形勢判断のポイントとしてな、一つは駒の損得、もう一つは駒の働き、という点があげられるんじゃ」
「この後に飛車を交換して互いに打ち込んだ場合、陣形の低い後手の方が強い形をしているんです。後手の飛車の方が働きがいいとなると、とても角銀交換の駒得くらいでは自信がもてない」
「まあ、難しい話はさっぱりわからねえな」
「ところが後手は△4五歩ときたんです。以下▲同銀△同桂▲1一角成と進みました」(3図)
「おっ、はなばなしくなったな。こういうのが見ていておもしれえ」
「ここでは端っこの働かない香とまん中の貴重な銀との交換。でも角の働きの差があるので僕の方がいいと思っていました。局後の感想戦では相手も自信があったようですけれど………ただここから自分が大きなミスをしない限りは勝てる、と思いました」
「これでもう負けない、と思いました」
「そうじゃのう。角が2枚ともさばけないとチト後手もつらいのう」
「このあとも結構長引いたんですけれど勝つことができました」
「うんうん、よかったのう」
「やい、ところで小僧。優勝したら何か貰えるのか」
「5まんえん」
「げっ」
「博打なんかでムダ使いしちゃいかんぞ。まあ折角だからこれからの抱負でも聞こうかいの」
「早く一人前になりたい。同年代で自分を追い越して棋士になって活躍している人も結構いますから。そういう人を目のあたりにしていると悔しい」
「そうじゃの。一生懸命がんばりなさい」
「おっ、ご隠居。もう酒の時間ですぜ。これからが俺の時間だ」
「今日はおごります」
「うれしいのう」
「何でい小僧、やけに威張って言うな」
「不満ならあんたは割り勘だぞ」
「けっ、態度がおごっていやがる」
時間もきましたようで、これにて失礼……………。
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木村一基八段は、中学3年で奨励会二段になっているが、そこから三段になるまで2年半、四段に上がるまで6年半かかっている。
この自戦記が書かれたのは三段になってから4年半経った頃。
焦りもしたし悩んでもいた頃だろう。
それにもかかわらず、このような、初心者にもわかりやすい解説付きの、趣向をこらした自戦記を書くというところが、木村一基八段らしい読者サービスだ。
「駒の損得」と「駒の働き」のバランスについてのミニ講座にもなっている。
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木村一基八段が奨励会の頃のことを語っている記事としては、次のものがある。
→ リレーエッセーその39 妻の願い 木村一基 (将棋パイナップル)
ちなみに、将棋パイナップルのリレーエッセーで木村一基八段にバトンを渡したのは、木村八段の奥様。年代的には2002年。
棋士の妻が味わう緊張感についても書かれていて面白い。