将棋世界2002年4月号、神吉宏充六段(当時)の「関西のことはなんでもしゃべりまっせ」より。
その日は家に帰ると「ハイ」。笑顔で妻からプレゼント。これが今年のバレンタインの一日。傍らで元気に暴れている息子の歓声を横目に、何とも言えぬ家庭の幸せを感じながら、一昔前を想い出す・・・。ハレンタインの日にはよく谷川浩司九段と神戸の飲み屋さんに行ったものだった。嫌がる谷川先生を「仰山チョコレートが貰えるでえ~」と勢いだけで連れ回し、十個以上の戦利品を手に「これって普通に買えば500円ぐらいなのに、飲み屋さんで貰うと一個一万円ぐらいの理屈に理屈になるんですネ」と呟く谷川先生。いつも虚しさが漂うバレンタインデーであった。
ということで、皆さんは何かいいことがあったでしょうか?将棋界はというと、独身男性棋士の間では、その話題に触れることはタブーというか、何というか、とにかく寂しい冬空ですねえ・・・。ところが、そんな寒風を吹き飛ばす男が現われましてん。そうですがな。タイトル通り、佐藤康光九段ことモテミツ君ですね。それは2月7日のA級順位戦の日の出来事でした。相手が谷川浩司九段ということで、関西将棋会館近くのホテルに宿泊していた佐藤九段。
朝、会館に向かう途中、待ち伏せしていたファンの女性から「あのう」と呼び止められた。
「はい」と応える彼に「これ・・・受け取ってください」と女性がそっと差し出したのが、何とチョコレート。少し早めだが、バレンタインの気持ちなのだ。私なら「ホンマにい~! メッチャ嬉しいがな。ところで一度メシでもどう? ええのん! ほなら電話番号教えて」なんて言いそうだが、いつも冷静な佐藤九段は「はあ、どうも」と受け取り、そのままスタスタと会館に。
これだけでも、朝早くから待っている女性がいるなんて、やっぱりモテミツ君やということになるが、まだここからがある。
2階道場でアルバイトをしている女性にも「佐藤先生!」と呼び止められたのだ。彼はやはり「はい」といつも通りの返事。すると「ファンなんです!握手してください!」である。身内ともいうべき女性にまで握手を求められたモテミツ君、テレビカメラが来ていることに気づき、スタッフにこう言うのだった。
「これって、ドッキリじゃないでしょうネ?」
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バレンタインデーの存在を知ったのは小学5年の三学期のことだった。
フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」でだったか。
あまりにも昔の仙台の小学校でのことなので、誰もチョコレートのやりとりはしていなかった。
中学1年になって、話もしたことのない別のクラスの女の子から、バレンタインデーにハートが半分だけのペンダントをもらった。
今から考えると、その頃が私の全盛期だったのかもしれない。
「あの子は好みのタイプではないのだけれども」
と生意気なことを思っていた。
中学の頃のバレンタインはそれでおしまい。
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高校は男子校だったので、というか高校3年間で同世代の女性と話したのは延べ1時間半だったので、チョコレートはありえない。
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大学に入っても、タイミングが悪かったのか日常の学生生活が悪かったのか、チョコレートは4年間皆無。
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社会人になった頃は一転して義理チョコ全盛期だった。
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それにしても、待ち伏せされた佐藤康光九段はさすがだ。