将棋世界1999年9月号、東公平さんの第17回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負第1局(丸山忠久八段-森内俊之八段)観戦記「激辛!! 丸山流の神髄」より。
A級八段同士の対決になった五番勝負の第一局は、今年も桜満開の東京・渋谷区広尾(旧名羽澤町)の羽澤ガーデンで開始された。
(中略)
羽澤ガーデンは、昔の満鉄総裁の邸宅で、三千坪の庭を持つ。90年前の造園で、昭和25年に料亭となった。将棋の対局に使われたのは翌年の名人戦第五局、木村義雄名人対升田幸三八段が最初。私にとっても思い出の数多い対局場である。
前日の夜は、朝日新聞社から中島清福取締役以下の担当者、日本将棋連盟から二上達也会長以下の理事と職員が出席する夕食会があった。若い両対局者は、立会人・加藤一二三九段の両脇に座り、もっぱら聞き役。中島さんは元政治部記者で、自民党総裁に田中角栄が選ばれた時に、中原名人書の扇子「五五角」を振りかざして喜んだという昔話を披露した。これには「GO・GO! 角さん」の意味があって、当時の写真も残っている。角栄首相は将棋好きだが、一時間で何局もやるという超早指しだった。
(中略)
記録係は熊坂学三段。立会人が遅刻するというハプニングはあったが、振り駒で丸山の先手番と決まり、定刻10時に開始された。丸山八段の和服姿を私は初めて見た。優勝賞金1,720万円也の大勝負、タイトル戦並みの晴れ舞台だけれど、盤に向かった時のほかは、いつもニコニコ、マルちゃんの笑顔である。いくぶん緊張気味に見えたのは森内八段の表情だが、すでに10年前の四段の時に、この座敷で谷川浩司名人を撃破、堂々の優勝だった。18歳の高校生森内は、西武の怪物と呼ばれる松坂大輔投手並み、どっしりと構えていて、控え室の升田幸三先生が「名人がC級2組に負けちゃいかん」の一言を残し、さっと引き揚げた光景を鮮明に憶えている。
(中略)
研究の行き届いた戦型であり、すらすらと進む。居飛車穴熊を真部一男八段は「左穴熊」と書く。理由は▲2六歩と突かずに右四間飛車から穴熊に囲う手順もあるため。だけど・・・私は考えた。システムとかスペシャルとか、▲8八銀の手を「ハッチを閉める」と若手棋士は言うのだし、語感の悪いイビアナはやめて「サブマリン」つまり、海底深く沈む潜水艦囲いにしたら?
過去の対戦は11局で、森内の6勝5敗。
島朗八段は、この二人を「激辛同士」と表現した。勝負に辛い。または将棋観の辛さか?両方の意味があるようで、このキャッチ、頂き。
1図以下の指し手
△2二飛▲9九玉△3二金▲8八銀△2四歩▲同歩△同角▲4六歩(2図)
△2二飛が森内の作戦。次の△3二金から△2四歩はサブマリン対策として用いられるが、創案者は高柳敏夫名誉九段だ。アマチュア用の分かりやすい戦法として本誌昭和25年8月号に「闘ふ向い飛車」の呼称で発表された。むろん当時はイビアナ、いや、サブマリン囲いはなかった。加藤治郎名誉九段がこれを「ガッチャン飛車」と呼んだのは、△2四歩▲同歩△同飛で飛車がぶつかるからだ。昔話はともあれ、本局の△同角が森内の研究手である。
平凡な△同飛だと▲2五歩△2二飛▲7九金が想定され、いきなり△1三桂と戦うか、または△4二角で△3三桂の好形に組むかの選択。加藤九段は△1三桂▲3七桂△3五歩▲2六飛△3六歩▲同飛△2五桂▲同桂△同飛▲2六歩△3五歩と、飛車の取り合いになる順も示した。その時に金が離れていると丸山が損。くっつける手なら▲6八金寄だが、一瞬の形が悪いし、桂交換で△6五桂も残る。要するに森内は▲2五歩△4二角の一手得を企図したのである。
対する▲4六歩がまた、丸山用意の一手だ。敵が△3三角なら▲2五歩で一局。それもいやな人には▲2六歩の妥協もあるところ、来るなら来てみろの▲4六歩だった。どうする?
2図以下の指し手
△4二角▲2三歩△同飛▲同飛成△同金▲4五歩(3図)
2図から△3三角なら前例もあり、ガッチャン飛車と同じ結果が出る。いきなり「勝負」と指したのが△4二角。
振り飛車の名手、藤井猛竜王に電話で訊ねてみた。さすが、と言ってもまあ当然だろうけれど、即座にきっぱりと答えをくれた。「△4二角は、私は指したくない。完封勝ち以外にないからです」。竜王は攻めが身上の振り飛車の使い手である。要するに▲2三歩を△同金は▲4五歩で悪いから、△同飛は必然で、離れた金をかばいながらの、徹底した受けの展開になる、というわけだ。
若手棋士はよく「研究が仕事で対局は集金」とジョークを言うが、森内にとっては、強盗のいる暗い街を歩くような、危険だらけの集金になった。
(中略)
午後になってまずは深浦六段が来た。続いて森下八段、青野九段、勝又五段、日浦六段ら。私は対局室と行ったり来たりだから、羽生四冠がいつ来たか、行方五段が後からか、順番は知らないが豪華な顔ぶれが集合、検討に口を出し始める。いつもながら羽生が「ええ」「そうですね」と同意する言葉には、第一人者の風格が備わってきた。
(中略)
4図以下の指し手
△4六歩▲同飛△2四角▲4九飛△4一香▲4六銀
お荷物の角を△2四角とさばき、△4一香と駒得を生かす。一見よさそうな手順が、どうも本局の敗因らしい。藤井の言う徹底的な辛抱とは、4図での△5二金。控え室でも、白いセーター姿で加藤のうしろにいた羽生が「△5二金で・・・」と発言し、検討されていた。
(中略)
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この後、森内八段に疑問手が出て、形勢は開く。
森内九段が正しく指し続けていれば千日手、というのが控え室の結論だった。
そして指し手が進んで途中図。
次の一手が、超激辛流の第一弾。
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△5一角と耐え、桂を殺して頑張る森内、やや赤みのさした丸山の横顔は冷静そのもので、例の””音無し流”でコトリと置いた、堅実無比の▲6六歩が、森内の肺腑をえぐる。
控え室の森下、勝又らが「エーッ」と言った手。▲4五銀くらいで充分な場面にもかかわらず。勝又が「友達をなくしますね、これじゃ」と笑った。
丸山将棋の神髄を見た!
5図以下の指し手
△4四香▲4五歩△同香▲同銀△同銀▲同飛△4三歩▲3四歩△2五歩▲同歩△3二金
▲7八金寄△4四銀▲6五飛△4五桂▲8六角△2五飛▲4六歩(投了図)
まで、89手で丸山八段の勝ち。
5図以下は、当日の感想なし、解説なしの手順。「研究が仕事」の両八段には先が見えていた。△2五歩を▲同歩。そして極めつけの丸山流が▲7八金寄だった。盤に駒を置いて、激辛の指し口を味わってみてほしい。
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超激辛第二弾を味わってみたい。
▲2四香を避けるために森内八段は△3二金と寄る。
ここで、戦慄の▲7八金寄・・・・・・
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ただし△4五桂は落胆がそうさせた失着で、△6四歩▲同飛△2五飛ならまだ粘れたはず。時間も使い果たした森内、ライバル丸山の手堅さを知っていればこその淡白な投了。指せば指すほどミジメになる形で、△7四歩と指し、▲4五歩△7三桂で飛車を取ってみても▲4四歩△6五桂▲同歩だ。二枚飛車で攻めても丸山陣には▲6八香の補強がきくから楽しみがない。
二人は黙ってカメラマンの入室を待った。森内の席からは、羽澤ガーデン名物のビアホールの、焼き鳥屋のちょうちんが見えるのだけれど、視線はまだ盤上。
床の間に、孫子の兵法の掛け軸。いわく「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」。しずかなること林のごとし、とは両棋士のために、いや、将棋のためにある言葉か。投了後の盤面は、左下方に不動の丸山サブマリン。右にひろがるのは丸山の和服の色と同じ、マリンブルーの海―。
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この期の全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負は、丸山忠久八段(当時)が3勝0敗で優勝を決める。
森内俊之八段(当時)は、2002年の名人戦で、丸山忠久名人(当時)を4勝0敗で破り、この雪辱を果たすことになる。