第4期竜王戦七番勝負第一局竜王戦バンコクツアー

将棋マガジン1992年1月号、故・田辺忠幸さんの「竜王戦ツアー印象記」より。

 読売新聞の東南アジア衛星版発行を記念してのバンコクで行われた谷川浩司竜王-森下卓六段の第4期竜王戦七番勝負第一局は意外や意外、持将棋に終わった。私は「大山十五世名人と行く竜王戦観戦とバンコク、チェンマイの旅」に積極的に参加して現地入りし、観光の合間に横目で対局を垣間見た。以下はツアー客から見た竜王戦印象記である。

四度目の海外対局

 読売旅行主催の観戦ツアーがあると聞き、ノータイムで申し込んだ。”日雇い”の観戦記者は暇があり、定年後は酒を飲む付き合いも減ったので資金もなんとかなる。それよりも海外対局には必ず現地に赴かなければならない、という妙な使命感のようなものに駆り立てられての参加といえるだろう。

 将棋の海外対局は今回が四度目だが、過去三回とも直接観戦している私には、連続記録を伸ばしたいという願望がいつの間にか生じた。連続四回は新記録になるはず。何の記録も持ち合わせていない私は、こんなことしか胸を晴れる材料がない。

 ここで海外対局のおさらいをしてみよう。最初は1976年1月にハワイ・ホノルルで行われた内藤九段-大内八段の第1期棋王戦決勝リーグ第1局。これが囲碁、将棋を通じて初の海外対局で私は仕掛け人の一人として準備に当たり、本番では速報記事と観戦記を書いた。結果は千日手指し直しの末に内藤が大接戦を制した。

 二回目は9年後の1985年6月に、ロサンゼルスで指された米長棋聖-勝浦九段の第46期棋聖戦第2局で、勝浦が快勝した。私は愚妻同伴でツアーに参加した。

 三回目はさらに5年飛んで昨年10月、統一なったドイツのフランクフルト・アムマインで行われた羽生竜王-谷川王位・王座の第3期竜王戦第1局で、谷川が先勝した。このときは単身で参加したが、三回連続は二上九段と私だけという話だった。今回は二上氏が不参加のため四回連続は私だけとなった。

美人が多い

 10月23日午前9時、大山ツアーのうち東京組55人は成田空港北ウイングに集合した。対局者、立会人、読売新聞関係者らの本隊は2日前に、ツアーの大阪組27人は1日前に既にバンコク入りしているはずだ。私は今回も単身である。

 勢ぞろいした面々を見渡すと、知った顔が大勢いる。大山十五世名人夫妻をはじめ、小野修一七段、名観戦記者の東公平さん夫妻、名カメラマンの弦巻勝さん、”名局の宿”銀波荘の大浦武夫社長、それに作家兼「将棋ジャーナル」のオーナー団鬼六(本名黒岩幸彦)さん夫妻と、5歳の信彦君。孫ではなく、団さんが55歳のときに奮戦して作ったお子さんとのこと。

(中略)

 団さんを団長に推し、一同、旅行社提供のビニール盤とプラ駒を手にしてタイ航空641便に乗り込む。将棋、囲碁の観戦ツアーに何度も参加しているが、棋具のサービスを受けたのは初めてだ。

 11時14分離陸、昼飯と軽食を食べて午後5時8分、いやタイの3時8分、無事にバンコク空港に着陸した。

 タイは初めて。バスを待つ間、当方は暑さばかりに気をとられていたが、さすがに独身棋士は目ざとい。「タイは美人が多いですね」と小野七段。なるほど、現地ガイドのリンダ嬢も色白の美人だ。

(中略)

盛大な前夜祭

 6時半からホテル地階の広いホールで対局者激励前夜祭。まず受付で竜王戦の記念扇子を頂いた。開いてみると谷川竜王の筆で「魅」森下挑戦者の筆で「覇」。続けて読むと「みは」。伸ばすと「みいはあ」になるではないか。

(中略)

 前夜祭は日本人会、観戦ツアー団を中心に約400人が出席して盛大に開かれた。壇上に谷川竜王、森下六段、立会人の中原名人、連盟理事の田丸八段、記録係の佐藤秀司四段、衛星放送コンビの小野七段、神吉五段、それに大山十五世名人が並ぶと拍手、また拍手。大山さんが末席に控えていたのは、対局に直接関係ないからと、遠慮されたのだろう。

 中原名人のあいさつ、チャムロン・バンコク首都圏知事の歓迎の辞があって大山十五世の音頭で乾杯。そしていよいよ主役の登場となり、両雄がバンコクの印象を語った。

 谷川竜王は「印象は三つありました。第一は車の渋滞がひどいこと、第二は女性のスタイルがよく、綺麗なこと、第三は皆さん信仰心が厚いことです」という。さすがにお寺さんに生まれただけあって、目の付けどころが違う。前日、バンコクのお寺を回ったそうだ。

 森下六段は「町に活力というか、バイタリティーがあふれており、発展する力を感じます。私もかくありたいと思います。食事まで活力、野性味がありますね」と、いかにも彼らしい言葉を述べた。

(中略)

 南国の一夜が明けて24日。8時半ごろから5階の対局室にツアーの連中が集まりだした。洋間の一部に8枚の畳を敷き、日本から空輸した盤が据えられている。

 団団長が「切腹の間みたいやなあ」とおっしゃる。浅野内匠頭最期の場面が目に浮かぶが、洋間にじゅうたんを敷くよりはよいと思う。

(以下略)

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この後のある局面については、神吉宏充五段(当時)が将棋世界1992年1月号に詳しく書いている。

棋士たちのナイトクラブ

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タイには日本人男性好みの美人が多いと言われている。

私が行ったことのある海外は限られているが、海外の街を歩いていて、(美人が多いなあ)と感じたことはまだない。

私の中では、やはり日本の女性が一番だ。

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サンフランシスコの街を一人で歩いていた時のこと。

すれ違う人たちを見て、(アメリカなのに意外と髪の毛の色が黒い人が多いな)と感じていたのだが、向こうの方からほとんど鮮やかな金色と言っても良いほどのブロンドの髪の女性が歩いてきた。

(ああ、やっぱりアメリカだなあ、映画みたいだなあ、アメリカはこうじゃなくっちゃ)。

その女性とすれ違う時に顔を見ると、、、日本人だった。

日本人は世界中で活躍しているんだな…となぜか思ってしまった。