佐藤康光棋聖(当時)の”羽生讃歌”

NHK将棋講座2005年12月号、故・池崎和記さんの「棋界ほっとニュース」より。

 6月から、同一カードによるタイトル戦が続いた。羽生善治四冠と佐藤康光棋聖の間で行われた棋聖戦、王位戦、王座戦がそれで、全部合わせると十七番勝負となる。

 その長い戦いが10月1日にようやく終わり、いずれもタイトルを保持している側が防衛する形で決着した。すなわち、棋聖戦は佐藤棋聖が3-2で防衛。王位戦は羽生王位が4-3で防衛。そして王座戦は羽生王座が3連勝で防衛。

 棋聖戦と王位戦がフルセットまでいったので、王座戦も・・・と期待したが、残念ながらそうはならず、王座戦はあっけなく終わってしまった。王位戦の結果が少なからず影響したと思う。

 佐藤は王位戦第5局で羽生をカド番に追い込みながら、その後、連敗を喫して二冠を逃した。羽生の土俵際でのふんばりは見事で、勝負が終わってしまえば「やはり羽生は強かった」となるけれど、佐藤の受けたダメージは想像以上のものがあったのではないか。

 王位戦第6局を勝ち切れなかった時点で流れは羽生に移っていた。その直後に行われたのが王座戦第2局であり、王位戦が決着してから待っていたのが王座戦第3局である。この時期的な流れを考えれば、佐藤のストレート負けに意外性はない。

 結果的に十七番勝負は十五番勝負になったけれど、将棋の中身は充実していた。角換わり、ゴキゲン中飛車、矢倉、相振り飛車・・・と、多彩な戦法が登場し、佐藤が随所で斬新な新構想を見せたシリーズでもあった。

 王座戦では偉大な記録も生まれた。羽生が14連覇を達成し、大山康晴十五世名人の持つタイトル戦の連覇記録(名人戦13連覇)を超えたからだ。

 王座戦終了後、佐藤は日本経済新聞に一文を寄せ、羽生の偉業をこうたたえている。

「14連覇は途方もない記録だ。7月に私は棋聖戦で4連覇を果たしたが、2ケタの連覇は想像を絶する。羽生さんの強さを目の当たりにして、私ももっと強くならなければいけないと体内に染み渡るように思わされた」

 勝負が終わってから敗者が勝者をたたえるのは珍しい。この寄稿文で、佐藤は羽生将棋の「強さの秘訣」を披露している。トッププロならではの視点で書かれたもので、例えばこんな具合だ。

「(四段時代の羽生は)終盤に勝負手次々に放って逆転勝ちする『勝負師』のイメージが強かった。ところが19歳で獲得した初タイトルの竜王を翌年、谷川さんに取られて無冠になったころから、将棋の質を変えたように思う。/20代前半、主に谷川さんとタイトルを争う中で、相手を意識せず指すようになった。これは谷川さんと同様に王道を歩む人の将棋だ。しかも、勝ち負けだけにこだわることなく、得手不得手にかかわらず、どんな戦形にも挑戦するオールラウンド型になった。将棋というゲームの真理を探求する心が強くなったように感じた」

「今年の王座戦では、第2局、第3局で、私が終盤に悪い手を指して負けた。将棋は最後にミスをしたほうが負けるゲーム。この本質を理解している羽生さんは中終盤のミスが圧倒的に少ない」

「これだけ勝っていながら、偉ぶるところがなく、それでいて第一人者の威厳を保っている。/盤上では負けたくないが、羽生さんのような人と戦えることは誇りでもある」

 他に「日常からでも、一度取り組んだら断固としてやり遂げる強い意志を感じる」とか、「将来を見通す視点も確固としている」とも書いていて、要するに文章全体が”羽生讃歌”になっている。

 普通、勝負師はライバルをこんなふうに手放しでほめ上げるようなことはしないもので、この意味でも異例の文章だ。佐藤もまた、まぎれもない第一人者であるが、その佐藤にしても羽生は「特別な存在」だということだろう。

(以下略)

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短い文章の中に羽生将棋の特徴や軌跡が見事に凝縮されている。

佐藤康光王将らしさも表れている。

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例えば東京スポーツ紙上で、レスラーがライバルレスラーのことを誉め讃えたりはしない。

「今度やるときはつぶすぞ。よく見とけ、ゴラァ」

などのようなことになる。

ライバル企業のA社とB社が大きなプロジェクトでコンペとなり、その結果A社が受注。敗れたB社は間違ってもA社を讃えるような談話は発表しない。

オリンピック然り、ワールドカップ然り、野球然り・・・・・・

あらゆる勝負の世界で、ライバルを言葉を尽くして讃える局面は非常に稀なことだ。

そういう意味でも、将棋の世界は素晴らしいと思う。