先崎学八段(当時)「このごろ郷田君は仕事なんかで顔を合わせても口を利いてくれないんですよ」

文章的には昨日の続き。

将棋世界2000年9月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 さて、夜戦である。9時ごろだったか羽生四冠が姿を見せ、控え室がにぎやかになった。調べられているのは、もちろん順位戦の3局だ。

 藤井対高橋戦は4図のようになった。

河口2

 △3五銀打の飛車取りに、▲4三角△3三歩を利かしたところだが、その次平凡に▲1六飛で先手よし、と控え室では言っていた。ところが竜王はなかなか指さない。およそ1時間考えて指された手は、さすがと思わせるものがあった。

4図以下の指し手
▲4四歩△2六銀▲3四角成△同歩▲3三銀△2一玉▲3二歩(5図)

河口1

 ▲4四歩と銀を取った手のはやさしい手だがその後の読みが素晴らしかった。その前に▲1六飛は△2四銀で難しいそうだ。

 銀と飛車を取り合った後、▲3四角成は強烈。以下▲3三銀から▲3二歩で、たちまち一手すきがかかった。

 控え室の継ぎ盤にこの局面があらわれたとき、「おや?」とあちこちから声が出た。なにか手がありそう、というわけだ。なにしろ、羽生、先崎その他、早見えの天才がそろっている。彼等の極端に言葉を省いた(指し手を言うときは、数手ないし数十手先の結論だけを言う)説を聞き分け、理解するのは容易でない。たとえば「アッ!端角で詰む筋がありますよ」というようなことを言う。5図でそんなこと言われたって、咄嗟になんのことかわからない。ところが、ここにいるメンバーにはそれがすぐ通じ「なるほど、詰みそうですね」などと会話がはずむ。

 大雑把に筋を言えば、仮に5図で△3七角と打てば、先手は持ち駒の金を合い駒に使えないから、あやがあるのだが、それらの変化を考えるのは、この暑い時季にふさわしくない、ということにして省かせていただく。

5図以下の指し手
△7九飛▲6九金△8九飛成▲2六歩△3七角▲4八金上△6七桂▲同金△4九金▲同玉△6九竜▲5九金△4七歩(6図)

河口3

 △7九飛と王手に飛車を打ち、▲6九金と合い駒するあたり、私は盤側で見ていたが、高橋九段はあきらめていたようだった。△3七角から、△6七桂の捨て駒など、手筋で迫ったが力感がない。自信にあふれた竜王の態度とあまりに違った。

 淡々と指し手は進み、やがて△4七歩と形作りの手が指された。竜王は顔色を変えない。6図から、▲3一歩成と銀を取り、△同玉▲3二銀打△同飛▲同銀成△同玉▲6二飛と素早く寄せた。ここで高橋九段投了。詰んでいる。

 この頃、となりの中原対三浦戦は終わっていた。すこし戻って再現すると7図の近辺がおもしろい。

河口4

7図以下の指し手
▲7一馬△同玉▲7七銀△2六角▲3五銀(8図)

河口5

 馬を逃げているようじゃ話にならぬ。▲7一馬と切るのは当然だが、次の▲7七銀と手を戻したセンスのよさには惚れ惚れさせられる。これについては、羽生、先崎両天才のコメントは特になし。褒めないところが、▲7七銀のよさを証明している。三浦七段の将棋は二人に対抗意識を持たせるレベルなのである。

 センスの話が出たので、ついでに言っておくと、藤井対高橋戦の最後のところの、たとえば▲2六歩と銀を取り返したあたりで、とりあえず▲3一歩成と銀を取ることが出来た。王手でタダ取り、損はない、とつい取ってしまいそうだが、それをしなかったのが、竜王のセンスのよさ、というものである。▲3一歩成△同玉と決めてしまうと、後に△4一玉と早逃げで粘られる筋が生じる。棋士の才能は、こうしたほんのちょっとした所にあらわれる。

 話を戻して、▲7七銀と形を整えられて中原永世十段も困っただろう。△2六角と攻防に利かせたものの、▲3五銀と強く指され、後手不利がはっきりした。それでも、8図から、△4八角成▲4六銀△2六馬なら粘れたが、△6八角成▲同玉△3五角▲同歩と切り、それから△5三銀と受けに回ったため、▲4二成桂から味良く攻められ、ジリジリと差が開き、最後は三浦七段の完勝となった。

 私は両方の対局が終わった後も、ずっと盤側で粘っていた。5図からの難解な変化について藤井竜王の読みを知りたかったからである。

 ところが、中盤の仕掛けあたりから感想戦をはじめ、肝心の5図になると、ここじゃもうだめだ、とばかり、高橋九段は仕掛けの局面に戻してしまった。私はがっかりして対局室を出た。その途中、大広間を覗くと、桐山対郷田戦は、郷田八段がしっかり勝っていた。

 エレベータ前の老人席に腰をおろし一服つけて今日の場面を思い返した。

 控え室の羽生、先崎その他の若手棋士達は、5図の場面で、難問を出されたように熱中して考えた。中原永世十段は7図からの粘り方をしつっこく研究していた。さっき言った、△4八角成~△2六馬なんていう手も、さんざんやった末に発見された筋である。高橋九段は、わるくなった局面を考えてもしようがない、という行き方だ。

 まるで三者三様だが、こういったところに、人それぞれの将棋観とか勝負に対する辛さ、甘さ、などがあらわれている。星はその結果なのだ。

 控え室では、羽生四冠と先崎八段の二人だけが残って、現在の連盟の在り方などについて話をしていた。しばらく聞くともなしに聞いていたが、そういった話は結論が出るものではない。深夜でもあるし、適当に切り上げ、三人で帰ることにした。

 タクシーを拾おうと歩いていて、ふと先崎君が「このごろ郷田君は仕事なんかで顔を合わせても口を利いてくれないんですよ。ボクがA級に上がり、彼が落ちたら、そうなった」と言った。

「ほう」と言って羽生四冠がニッコリした。棋士はそうでなくちゃ。近頃稀に聞くいい話だと思った。今期、郷田八段のA級復帰は確実だ。

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河口俊彦七段(当時)は、この日のことを「天才達の対抗意識」というサブタイトルで書いている。

静かに燃え上がる対抗意識の数々。

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郷田真隆八段(当時)と先崎学八段(当時)は奨励会時代からの親友。口を利かないということは余程のことだ。

それだけ郷田八段にとっては臥薪嘗胆の思いの時期だったということなのだろう。

しかし、この期のB級1組からA級への昇級は藤井猛竜王(当時)と三浦弘行七段(当時)でともに9勝3敗。

郷田八段は8勝4敗の3位だった。

郷田八段がA級へ復帰するのはその次の年のことになる。

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先崎八段の話を聞いて、「ほう」とニッコリした羽生善治四冠(当時)。

ニッコリには、「棋士はそうでなくっちゃ」、「微笑ましい」、「とにかく面白い」など、いろいろな意味が含まれていたのだろうなと思う。