今日は三浦弘行八段の誕生日。
NHK将棋講座2005年10月号、読売新聞の西條耕一さんの観戦記『阿部「暴発」に散る』(NHK杯将棋トーナメント2回戦 阿部隆八段-三浦弘行八段戦)より。
対局前の控え室。阿部はいつも通り明るい。
「こないだ、北海道に嫁と旅行に行ったんですわ。そしたら夫婦ゲンカになってしもうて、嫁が(レンタカーを)運転してくれないんで困りました」と言って大笑いしている。挑戦者として登場した第15期竜王戦でもそうだった。第2局のとき、「前の対局で(昼食の)チャーハンの量が少なかったんで、今度は大盛りを注文したら3人前ぐらいあるんですよ。こっちも頼んだからには全部食べなあかんでしょう。えらい目に遭いました」と言ってたいらげ、午後、盤に向かうのが苦しかったと笑いながら話してくれた。
一方の三浦はいつも寡黙だ。阿部の話を聞いてにこりとすることはあっても積極的に会話に加わることはない。将棋一途なのだ。
先手でも千日手を辞さないカラさは、仲間からも「勝負にこだわりすぎでは」という声があるが、プロの世界だけにしかたあるまい。
ただ、観戦記者からは評判がいい。対局後、数日すると取材した記者の勤務先や自宅に電話をして「こないだの将棋、何か疑問はありますか」と尋ねる。そこまで丁寧な棋士は三浦ぐらいだろう。2人とも誤解を受けやすい面もあるが、周囲に対して自分なりの配慮ができるので根強いファンが多いのだろう。
(中略)
三浦もユニークさでは阿部に負けない。こちらもエピソードは多いが、棋聖戦五番勝負に出ていたころ、気合いの入った三浦が、対局場の神奈川県秦野市の「陣屋」に先にひとりで行きたいと主催紙の担当記者に言ったときの話が面白い。
新宿から小田急線に乗ったはいいが、行けども行けども目的地の鶴巻温泉駅に着かない。なぜか。途中駅からまったく別方向に分かれる江ノ島行きに乗ってしまったうえ、乗り換えることも知らなかったからだ。
担当記者は事前に陣屋の女将に「三浦さんが早く行くので昼食をよろしく」と言っていたが、結局記者のほうが早く着いてしまった。
ところが三浦は到着していない。何か不手際があり対極拒否? 「第二の陣屋事件」かと心配していたところ、三浦がはるか離れた江ノ島から電話をかけてきて、「電車を乗り間違えたらしいのでこれから向かいます」。関係者は一同ほっとしたという。
もっともいまの三浦は人間的にも成長したのでそうしたことはあるまいが、勝負にそこまで没頭できたのが、当時の三浦の強さだったのだろう。
(以下略)
三浦弘行八段はこの対局に勝って3回戦へ、そして3回戦では森内俊之名人を破り、準々決勝へ進出。
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2005年度NHK杯将棋トーナメントの準々決勝、森下卓九段-三浦弘行八段戦。
私にとって生まれて二度目に担当する観戦記がこの一局だった。
解説は木村一基七段(当時)。
午前10時過ぎの控え室、森下卓九段も木村一基七段も話好きなので、かなり賑やかな雰囲気。
三浦弘行八段は端のほうで静かに座っている。
森下九段「この間、仕事で沖縄へ行ってきましてね、ええ。連日地元の方と飲んでとても楽しかったのですが、あとで気がついたら、泡盛を二日で八合も飲んでいたんですねえ。ビックリしました。・・・えっ、昭和のアイドルタレントですか? 堀江しのぶさんが可愛かったですねえ」
三浦八段は、決して外界を遮断しているわけではなく、話をじっと聞いていたり、考え事をしていたりという雰囲気。
木村七段「僕と同年齢の、外見が若かった行方君や野月君も最近では年齢相応の顔しています。でも三浦君は子供の頃と顔がほとんど変わっていません。それにひきかえ僕なんか特に…」
三浦八段は、困ったような迷惑そうな照れくさそうな微妙な表情をして、少しうつむく。
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対局は三浦八段が勝った。
感想戦が終わって控え室へ戻る途中、三浦八段が私に声をかけてくれた。
三浦八段「観戦記を書かれるのは何回目ですか?」
私「はい、今回が二度目です。初めて書いたのがNHK講座の先月号に載った郷田-先崎戦です」
三浦八段「将棋ははどれくらい指されますか?」
私「強い三段、弱い四段とよく言われます」
三浦八段「今日はこのあと何か予定が入ってらっしゃいますか?」
私「いえ、何も入ってません」
三浦八段「では、これからお昼ごはんに行きませんか」
私「はい、ぜひ」
控え室では無言だった三浦八段が話しかけてくれたのがとても嬉しかった。
初めて観戦記を書いた時の郷田真隆九段(当時)と同じように、三浦八段が観戦記経験のほとんどない私を気遣ってくれているのがとても分かって、感謝の気持ちでいっぱいになった。
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一度控え室に戻り、関係者に挨拶をして、三浦八段と一緒に外へと向かう。
NHKの局舎内は意外と複雑な構造になっており、下手をすると道に迷うことがある。(外部からテロ組織が乗り込んできた時に、容易に放送施設を乗っ取られないようにするためだという言い伝えもある)
大通りの廊下へ出た時、私が左に曲がろうとすると、三浦八段が「あっ、こちらですよ」と右側を指差した。
私は西條さんの観戦記(今日の記事の一番上)を読んでいたので、”三浦八段は方向感覚があまりない”という刷り込みがあったのだが、「三浦八段よりも私は方向感覚がないのか・・・」とその瞬間思った。
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三浦八段も私もNHK近辺の店は不案内だったものの、歩いているうちに見つかった蕎麦屋に入ることにした。
三浦八段が頼んだのは「玉子丼」。私は「カツ丼」にした。
玉子丼とは懐かしいメニューだな、と思った。
私「森下九段は居飛車党なのに、どうして石田流にしてきたのでしょうか?」
三浦八段「僕もよくわからないんですよ。森さんはどう思われます」
私「森下九段にお聞きしたら、事前に決めていた作戦ではなく、その場で思いついたというお話でした。どうしてなんでしょうね?」
というような会話をした。
店を出る時、私は割り勘のつもりだったのだが、三浦八段が全部払ってくれた。
故・芹沢博文九段は書いている。
カツ丼の恩義というのが将棋界にはある。カツ丼をおごられたら、食ってしまったら、どのような立場になろうとも”弟分”である。その喜び、忘れたと言ったらほとんど仲間外れにされてしまう。
私はこの文章を覚えていたので、これで私も三浦八段の”弟分”だ、と身が引き締まる思いがした。
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その後、三浦八段は私を連れて千駄ヶ谷の将棋連盟へ。
記者室に入って、三浦八段は先程の対局を一手目から並べ始め、ポイントポイントで手の意味を懇切に教えてくれる。
私「あっ、この△2二玉では皆が驚いていました。木村七段も”解説不能”と話をされていました。この手の意味は?」
三浦八段「そうだったんですか。△2二玉には3つの狙いがあります。一つには・・・・・・」
全てが懇切丁寧、非常にわかりやすい説明。
観戦記者にとってこれほどありがたいことはない。
最後に三浦八段は次のように話していた。
「ファンの方が喜ぶような将棋を指したいんですが、プロは相手の狙いをはずし合うことが多くて……」
三浦八段には感謝してもしきれなかった。
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三浦八段との別れ際、
三浦八段「今日の竜王就位式はどうされますか?」
私「あっ、今日は家に帰って、すぐに観戦記に取りかかりたいと思います。今日は本当にありがとうございました」
三浦八段に教えてもらったことを忘れないうちに準備を始めようという気持ちだった。
酒も飲んでいないし、今日は仕事ができる。
しかし、電車に乗ってから気がついた。
「そういえば、三浦八段は竜王戦1組で1位だったから竜王就位式で表彰をされるんだ。ああぁぁ、就位式に行くべきだった。三浦八段と将棋以外の話もできたかもしれないのに・・・」
もはや遅い。今日は観戦記に没頭しよう、没頭しよう。
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この日の対局の棋譜を棋譜ソフトに入れて、譜割りも考えた。
夜の8時頃、電話がかかってきた。
中野で飲んでいるのでこれから出てこないか、という湯川恵子さんからの電話だった。
譜割りがほぼできたので、行くことにした。
中野に行ってみると、湯川博士さん・恵子さん、窪田義行六段、三遊亭とん楽さん、中島一さん。
竜王就位式に行っていた人たちの流れだという。
飲み会はとても楽しかったが、「こうなるのなら、初めから竜王就位式へ行っていれば良かった」という思いがあらためて蘇ってきた・・・
この時の観戦記→三浦弘行八段の真骨頂