将棋界の”おしゃべり三羽烏”

NHK杯将棋講座2006年1月号、故・池崎和記さんの「棋界ほっとニュース」より。

 渡辺明竜王が木村一基七段を挑戦者に迎えた竜王戦七番勝負が始まった。これまでになかった新鮮なカードで、渡辺にとっては初の防衛戦。また木村はタイトル戦初登場である。

 第1局の対局場は会津若松市・東山温泉の旅館。僕は新聞観戦記担当で、対局前日の昼過ぎ、関係者(対局者、立会人、報道陣ら)と東京駅で合流した。新幹線で郡山まで行き、そこからバスで東山温泉へ向かう。東京から片道3時間半だが、僕は大阪からの遠征なので約6時間だ。こういう長旅もたまにはいい。

 この日の午前中、竜王は将棋会館に行って免状に署名をしてきたという。つまり家を出て、将棋会館でひと仕事をし、そのまま東京駅にやってきた、というのだ。

 「連盟は東京駅の途中にありますからね」。竜王はけろりとしてそう言ったけれど、タイトル戦の移動日に盤外の仕事をこなすなんて、なかなかできることではない。タイトルホルダーは違うな、と妙に感心してしまった。

 バスの中では挑戦者と席が一緒だったので、いろいろ話を聞いた。新調した和服のこと、最近生まれた赤ちゃんのこと、長かった奨励会時代のこと、映画に熱中した大学時代のことなど。

 木村は話し好きで、関西人の僕にジョークを交えながら関東情報をいろいろ教えてくれる。

 大笑いしたのは”おしゃべり三羽烏”のこと。木村と近藤正和五段と鈴木大介八段が、こう呼ばれているらしい。

 「でも、みんな微妙に違うんですよ」と木村は言う。「僕は相手の話もちゃんと聞きます。”ちょっと僕の話も聞いてください”と、必ず断ってから自分の話をするのが近藤さん。そして、相手を無視して、ひたすらしゃべり続けるのが鈴木さんです」

 ははは。僕は御三方をよく知っているが、確かに当たっているような気がする。いずれにしても木村節は健在で、タイトル戦を前にして、ふだんと変わるところはなかった。

(中略)

photo (33)

 図は木村が2筋にいた飛車を7筋にまわったところ。後手は次の▲7二飛成が受けにくいし、また▲3六歩(△同銀と取れない)も残っているので、木村がうまくやったように見えるが、ここで渡辺は巧妙な受けを用意していた。

 △7五歩▲同飛△6四角▲7二飛成△8二飛▲同流△同角と進んでみると、後手はピンチを脱した感じ。

 実際はこれでもまだ難しいのだが、このあと木村にミスが出て勝負は竜王が勝った。

 もともと先手の指しやすい将棋だったので挑戦者にとっては痛い敗戦になったが、木村は「負けた人間がこういうのもおかしいですけど楽しく指せました」と語り、私たちをホッとさせた。

 つらいのはわかる。でも、それを口にすれば、その後の感想戦や打ち上げはずいぶん暗いものになる。おそらく木村はそれを嫌って、こんなコメントをしたのではないか。僕の思い過ごしかもしれないが、そんな感じがした。

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最後の3行がジーンとくる。

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今では聞かれなくなったが、20世紀の終わり頃から将棋界で、激辛三兄弟(森内俊之名人、丸山忠久九段、藤井猛九段)という言葉が使われていた時期があった。

ほかにも、酷評三羽烏(渡辺明竜王、村山慈明六段、戸辺誠六段)と呼ばれるユニットもあった。

酷評は、指し手に対する酷評。

酷評三羽烏+1。 (渡辺明ブログ 2006年3月25日)

おしゃべり三羽烏の一人である鈴木大介八段は、2000年に激甘三人衆(鈴木大介六段、同年代のK棋士、同年代のN棋士)という言葉を自虐的に使っている。近代将棋で記事にしたのは池崎和記さん。

激甘三人衆

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一人なら無双、二人なら双璧、三人が三羽烏、四人で四天王・・・

おしゃべり三羽烏が木村一基八段、鈴木大介八段、近藤正和六段として、おしゃべり無双、おしゃべり双璧、おしゃべり四天王、おしゃべり七本槍、おしゃべり十勇士なら誰が加わったりするのかも興味深いところだ。