将棋世界1990年1月号、米長邦雄九段(当時)の自戦記「小堀清一の再来」より。
まさしく中原誠ばりの桂跳ねであった。
この間、中原先生に「あなたは本当に桂使いがうまい。小堀清一の再来だ」という風にほめたところ「あんまりありがたくない」という答えが返って来た。
「ありがたくない、と言ったことを山川先生(次彦八段、小堀九段の弟弟子)にしゃべってもいいですか」と聞くと、「う~ん、どうも」と口を濁しておったが、「やはり、あんまりありがたくない」ということであった。
(注・若い読者のために・小堀清一九段―明治45年生まれ。昭和62年引退。王座戦男という異名を取り、升田・大山の全盛時代に活躍した。特に腰掛銀を得意とし、何が何でも桂を跳ねて相手を攻め倒すのを得意技とした。桂使いの小堀として恐れられた棋士である)。
—–
将棋世界1990年2月号、米長邦雄九段(当時)の自戦記「形勢不明の大熱戦」より。
先月号では島竜王との将棋を紹介したので、今月号は竜王戦挑戦者の羽生六段との一局をお届けしよう。
(中略)
久々の対羽生戦ということで、この日を大いに楽しみにしていた。
当日の朝、私が対局室に入ると、すでに羽生君が下座についておった。
そこでとっさに一つのセリフが頭に浮かんだ。
それは、待ち構えているカメラマンに
「どうか床の間を背に座っている私の姿を撮影してほしい。羽生先生を相手に上座に座れるのはこれが最後になりそうだから」と言おうというものだったが、あいにく、その日は隣で島竜王も対局だったので、それは胸の内にしまっておくことにした。
観戦記者は、と見ると、石堂淑朗氏がデンと控えている。
「石堂さん、将棋の手のことはいいですけど、私の人柄のことだけはどうか一つほめておいて頂けませんか」と懇願しておいた。はたして、私の願いがどの程度通じたか、新聞を見るのが怖いような楽しみのような気持ちである。
—–
将棋世界1990年3月号、米長邦雄九段(当時)の自戦記「オジン対決に勝つ」より。
こうなってくると、新人類とは20代以下のことを指すのか、あるいは10代のことを指すのか、どっちだか全然わからない。
それでは40代はどうなっているのだろう。
旧人類と新人類はどこが違うのか。
内藤國雄より歌がうまい新人類がいるか?
森安秀光より酔い方のおもしろい男はいるか?
加藤一二三より敬虔なクリスチャンはいるか?
田中寅彦より財テクの才能がある男はいるか?
まだまだ人材は豊富である。
中原誠より温厚な男はいるか?
青野照市より幸せそうな男はいるか?
石田和雄以上にボヤく男はいるか?
勝浦修より計算の早い男はいるか?
森けい二ほどアツくなれる男はいるか?
俺以上に女を喜ばせられる男がどこにいる!!
こうして見ると旧人類もそれぞれに面白いメンバーが揃っているようだ。
—–
平成初期の故・米長邦雄永世棋聖らしさが、存分に発揮されている文章だ。
誰にも真似ができないと思う。
—–
”新人類”。久々に聞く言葉だが、いつ頃から使われていたのか。
調べてみると、
1977年から1982年頃にかけて用いられた新語とあったり、
新人類は1961年生まれから1970年生まれまでと定義されることが多いとあったり、
新人類とは1960年から1965年頃に生まれた世代のことで、団塊の世代と団塊ジュニアの中間に位置するとあったり、
諸説紛々で明確な定義はない。
そもそも、”団塊の世代”は1947年から1949年生まれ(または1951年生まれ)とされているので、 新人類を「団塊の世代と団塊ジュニアの中間に位置する」というのは、あまりにも無謀な世代論のこじつけでしかない。
確かなことは、1986年に流行語大賞・流行語部門金賞を受賞したということだ。
—–
将棋界に流行語大賞というのがあったなら、どうなるのだろう。
2012年の将棋界の流行語は?
”▲5七玉”か”△6二玉”か・・・
思い浮かんで来ない。
流行語とは、流行り廃れのあるもの。
将棋界に目立った流行語のないところが良いことなのかもしれない。
—–
ちなみに、ほとんど使われなくなっている流行語大賞金賞・年間大賞受賞のものとしては、
1989年 オバタリアン
1991年 ・・・じゃあ~りませんか
1998年 だっちゅーの
2000年 おっはー
2002年 タマちゃん
などがある。
個人的に嫌いな流行語は、
1995年 無党派
2003年 マニフェスト
個人的に好きなのは、その破壊力の凄さから、
1994年 同情するならカネをくれ
当時12歳だった安達祐実主演の日本テレビ系ドラマ『家なき子』での台詞だ。