将棋マガジン1990年12月号、先崎学五段(当時)の第21回新人王戦決勝三番勝負第1局観戦記(森下卓六段-大野八一雄五段)観戦記「それぞれの新人王戦」より。完結編。
時間は進んで、午後8時。2図は大野が9分考えて△7三金と上がったところ。実はこの手は大悪手だった。両者の顔は真っ赤である。残りは森下72分、大野23分。
森下 (△7三金かあ、読み筋になくて意表をつかれたけど、良く見るとあんまりいい手じゃないんじゃないかなあ。5三の地点が薄いもんなあ。いずれにせよここでは僕の方が優勢だ。あとは大事に行こう。でも、あんまり大事をとりすぎると竜王戦の対羽生戦みたいになるしなあ。いかにかんまた余計なことを考えてしまった。本当に僕は人間が甘いなあ。でもまさかこの将棋は負けないだろうな。目の前にいるのは羽生じゃないんだもんな。よし、目の前にいるのは羽生じゃない。羽生じゃない、羽生じゃない・・・)
大野 (しまったなあ。勝ちにくい将棋にしちゃった。和美(注12)にあわせる顔がないなあ)
勝又 (早くモノポリーしたいなあ)
先崎 (早く酒が飲みたいなあ)
以下、全く勝負所もなく、森下の一方的な展開で終局。大野にとっては2図の△7三金がすべてだった。ここでは△5三銀と引くべきで、それならば、むしろ大野の方が指しやすかった。
12:00―打ち上げの席。棋士、関係者など大勢集まる。棋士は青野、神谷、日浦、先崎。
森下 実は医者になろうと思いまして(注13)―日本のシュバイツアーを目指しているんですよ。医者になって先崎さんの悪い頭を切ってあげますよ。
先崎 なに言ってるんですか。医者になったって仕方ないでしょう。
神谷 仕方ないとか、あるとかは、絶対的なものか相対的なものかということから話をはじめよう(注14)。
先崎 でも今さら医者になったって。
神谷 すべては自己満足だ(注15)。
大野 いいなあ卓ちゃんは元気で。
先崎 大野さん、元気出して下さいよ。
神谷 そうだよ、人間なんて所詮は水とカルシュウムと有機物の集合体にすぎないんだから・・・(注16)。
(神谷、変ななぐさめをはじめる)
大野 よし、先崎碁を打とう。
(大野、先崎を碁でいじめて元気をとりもどす)
朝7時。今しがたまでモノポリーが続いていた部屋にて、大野と先崎。
大野 あーあ、あんなに簡単な見落としをするかなあ―。
先崎 まあ気をとり直して―次は先手番じゃないですか―。
大野 よし、遊びに行こう。
先崎 えーー今からですか。
大野 当たり前だ、今さら家に帰れるか!
(朝の光りを全身に浴び、連盟を出る二人)
注12:大野さんの愛妻。はっきりいって美人です。
注13:森下さんの最近の口癖。本気のわけがない。
注14・15・16:神谷さんの口癖。新宿の「あり」などで飲むと、一晩に100回は聞かされるセリフ。
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注14・15・16、神谷広志六段(当時)がいかにも言いそうなイメージの言葉なので、嬉しくなってしまう。
中村修七段(当時)の「つらいス」、森信雄七段の「冴えんなあ」、勝浦修九段の「分かる? 君も二十年すれば分かるよ」、中原誠十六世名人の「驚いたねえ」、郷田真隆四段(当時)の「意味ない意味ない」など、酔っ払った時あるいは素面の時の定番の口癖は、非常に貴重だ。
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注14・15・16のところに書かれている新宿の酒場「あり」が今日で閉店する。
建物が改築されるために立ち退かなければならないような話が浮上したりしなかったりと、落ち着かない状態が続いていたため、二代目ママが店を閉めることを決断したようだ。
「あり」には多くの棋士が通った。
このブログでも「あり」のことは何度か取り上げている。
知っている店がなくなるのは、とても寂しいことだ。
私は今週の月曜日に「あり」に顔を出したのだが、それが最後になるのだろう。
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「あり」は将棋ペンクラブ関東交流会の3次会の店として定番だった。
今年の5月25日(土)に行われる関東交流会では、3次会の店をどこにすれば良いのだろう・・・
かなり悩みそうだ。