将棋世界1993年1月号、評論家の川上信定さんのエッセイ「競輪倶楽部」より。
「お前ら、こういうものを読まないと駄目だ。うまくなれない」
昭和51年だったか、翌年だったか、とにかく前橋競輪場の貴賓室でやたら威張っている男がいた。男は文春の編集者中本洋(現広告部部長)と連れ立って入って行った初対面の私にも、
「あなたね、競輪に勝とうと思ったらこれを読みなさい」
と、当該ページを開いて丸めた週刊誌を突き出して見せた。
「あ、セリさん、知らんかったん?これ、それ書いた川上や」
瞬間、0.何秒か、彼の顔に含羞と狼狽の表情が浮かび、すぐに消えた。
「中本ちゃんよ、人に恥かかせるもんじゃない」
セリさんが逆襲すると、中本はとり合わず、「うっひゃひゃ、こら、おかしい。セリさんが慌てはるの初めて見たで」とはしゃいだ。
これが故芹沢博文九段との出会いだった。
私は囲碁将棋をよくしないが、彼の名前は卓抜の書き手として知っていた。
新宿二丁目のある路地に、ママ一人が勝手に国際美人酒場と称しているバー「あり」がある。米長さん、中原さんはじめ多くの棋士がやってくる。それを目当てに将棋ファンがやってくる。少なからぬファンが、「やぁ森ちゃん、ご無沙汰」だの、「米長さん、アチラのほうは如何」などとやる私を、何だかよくわからないけどもとてつもなく偉い先生と勘違いするらしい。先夜などは初老の紳士から、「あの、たいへん失礼ですが、どのくらいお指しになるので?」と訊かれた。
どのくらいもこのくらいも、私は将棋ができない。やらない。だから芹沢さんとも、芹沢さんを通じて紹介された棋士の方々とも楽しくつき合ってこられた。もし、いくらかでも棋力があれば、畏怖のあまり口もきけなかったろう。ましてや「勝っちゃん」だの「滝ちゃん」だの到底口にできなかったろう。
競輪には五大特別競輪というビッグイベントがあって、東京から見れば遠隔地で開催されることが多い。芹沢さんとは日本中に出かけた。少ないときで二、三人、多いときなら六、七人の棋士が一緒である。
芹沢さんと同室ということが多かった。厭だった。飲ん兵衛のくせに朝が早く、5時過ぎには起き出して、
「小鳥さんもあはようさん!」だの「朝だ朝だーよ」などとやるからである。
野本さん、勝浦さん、佐藤義さん、滝さん、武者野さん・・・皆、芹沢さんにはさんざん威張られたが、そんなことはとっくに折り込み済みとばかりにニコニコしていた。
競輪が終わった後は、近くの飲み屋になだれ込んで痛飲する。称して「反省会」。盛り上げるにはコツがある。勝浦、野本。この二人のうちどちらかを早く酔わせるのだ。芹沢さんもそれを望み、「やい、たかが九段がなんだ」などといわれるのを楽しんでいた。勝浦さんの目が据わって「おい、トラ」だの「やい、信定」だのと出はじめればしめたものである。もっとも、調子に乗りすぎると危険だ。
勝浦・森両八段が揃って九段に昇進した年の11月、棋士六、七人、その他四、五人で小倉のふぐ屋でやっていたときのこと。突如として勝浦さんの目が据わり、私に、
「九段に向かって勝っちゃんとは何だ」
と威張りだした。芹沢さんが慌て(たふりをして)て、「まあまあ、勝ちゃん」ととりなす。
「先生は黙ってて下さい!」
「はいはい(と肩をすくめ舌を出す)」
「いや勝ちゃん・・・じゃなかった勝浦先生、俺が悪かった。謝る」
「本当にそう思うか」
「思います。この通り(ペコリ)」
「よし、許してやる」
翌日、いやぁ昨夜は参ったよ勝浦さん、と言うと
「人をからかわないでよ川上さん。この僕がそんなこと言うはずないでしょ」
真顔で言うから、また爆笑になる。
基本的に「精神的乱暴者(サイキック・アウトロー)で、そのくせ周囲を楽しませよう明るくしようと神経を砕くのが競輪派棋士だと思う。その代表格だった芹沢さんをはじめ彼らの輪力は「上の中」か「上の下」。彼らにとり競輪はどこまでいっても息抜きであり遊びだから高IQをもってしても「上の上」たりえないのである。
「お姐さん!ここのめしはうまいですねえ。もう一杯下さい」
昨年春の一宮ダービー旅打ち会の途上で立ち寄った松坂の「和田金」でこう叫び、飯を5杯食ったのは滝さん。その底抜けの明るさと分裂気味の言動で芹沢さんの衣鉢をよく受け継いでいると思う。
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川上信定さん(1946年~2004年)は、作家であり競輪評論家・花火評論家。
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故・真部一男九段は次のように書いている。
「今はそんなことはないが昔、勝浦修九段は芹沢博文九段によればイバリ屋勝ちゃんとして飲酒業界では大いに恐れられる存在だったらしい。 芹沢の話であるから真偽のほどは定かではないが、(以下略)」
(以下略以下は)→愛すべき勝浦修九段(1)
勝浦修九段は普段はクールな顔立ちだが、笑った時が非常に魅力的だ。
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松坂の「和田金」は、最高級松坂肉の名店。
→和田金のホームページ
和田金の名物は、寿き焼き(すきやき)と網焼き。
肉の質でランク分けされていて、値段も異なるという。
極上の逸品。
滝誠一郎六段(当時)がご飯を5杯食べたくなるのは当然だと思う。